ノネムの足がピタリと止まったのに対し、リロはあれ?と動かなくなった背中をぐいぐいと再度押そうと試みていました。
「え、あの、人間じゃないって……?」
 やがて押すのを諦めたリロはあっけらかんと語ります。
「神の使いはみんな元々人間の姿じゃないからね。人間に色々伝えることがあるから人間世界に降りてたりするだけで。リロは動物の姿よりも人間の姿の方がいいからこうしてるけど、神様も動物の姿だったり人間だったりするし、まぁそこらへんは自由なんじゃないかなぁ?」
 何を言ってるのかさっぱりわからない中、タンタはハッとしてアンを見ました。神の使いと言われているアンも、もしかしたら人間じゃないのかもしれないと思ったのです。しかしアンはアンで驚きの連続すぎて何も言うことが出来ませんでした。
「じゃあ、アンも人間じゃないの……?」
 ノネムだけがまっすぐ正直にアンに尋ねます。けれど、アンは上手く言葉を口にする事が出来ません。ほんの少し間を開けてから、ようやく口を開いたアンは
「に、人間です……私はずっと……」
 と震えた声で答えました。そんな様子を見ていたリロはクスクス笑うと大きく手を広げます。
「きっとアンは預言者ってやつじゃない?神様の声を聞き取れる人間もいるって聞くし」
 その言葉に、アンは胸がじんわりと熱くなるのを感じました。こめかみに薄らと汗を滲ませながら、グッと手を強く握り締めます。
「へぇ〜、預言者!なんかかっけ〜!」
 キラキラしたタンタからの視線を受け止めるには少し気持ちが落ち着いていなくて。それでもタンタからの羨望は止まることはなく。
「正真正銘の人間だとしても、選ばれた人間なんだろ?」
「そうなんじゃない?リロ人間界の事はよくわかんない!」
「アン様は神の使いになった日、天気を変えたんだ。その日はどしゃ降りの雨だったのに、アン様が教壇に立った瞬間に晴れたんだよ!」
「へぇ〜、それはすごい!」
「だろー!」
 とくとくと動く心臓は少しずつ一定のスピードに落ち着き、アンは一度足元を見ると、それからゆっくりとリロの方を向きました。
「リロ、といいましたね」
「ん?なぁに?」
「あなたは本当に神の使いなのですか」
「うん!そうだよ〜」
「……証拠は、何かあるのですか」
「しょーこ?」
 こてん、と首を傾げたリロはきょとんとアンを見ます。
「神の使いの力を今見せることは可能ですか?」
「あぁ……。ううん、出来ないよ」
「それは、どうして?」
「どうして?どうしても?」
 出来ないものは出来ないんだよ〜。
 どこか間延びしたトーンでリロが答えると、アンは少しだけ怪訝な顔をして、それからすぐにいつもの表情に戻りました。
 刹那、マニ洞窟の奥から何か重たい音が響きます。全員がそちらを向くと、リロは小さく「もう……」と窘めるように呟きました。
「リロは結局ついてくことしか出来ないから、基本的な判断はみんなに任せるよ。どうする?マニ洞窟ほんとに行く?」
 先程まではあんなに行くことを勧めていたのにも関わらず、パッと一歩引いたリロがそう言うと、アンが強く声を上げます。
「行きましょう」
 その言葉にタンタとノネムが頷くと、全員がもう一度マニ洞窟の方を向き、そして歩みを進めるのでした。

 洞窟の中は薄暗く、かろうじて少し先が見えるくらいの明るさでした。四人はなるべく離れないようにくっついて歩いていましたが、やがて大きな空洞にたどり着くと誰からともなく「わぁ……」と声が出ました。その広さから、一人一人が散り散りになり壁や地面を探索していきます。結果、この空洞からは二つの道が伸びていることがわかりました。四人はまた真ん中に集まり話し合います。
「この場所は安全そうだし何かあったらすぐ入口に戻れるけど、こっから先は少し狭ばってるっぽいなぁ。ちょっと俺的には不安かもしれない」
「ですが、ここにずっといるわけにもいきません」
「まぁな。ってことで、右の方を俺とノネムで軽く見てくるからアン様とリロ?はここで待っててくれ」
 タンタの提案にアンは驚きました。
「え、どういうことですか。私も行きます」
「この先どうなってるかわからない以上偵察させてほしいんだ。すぐ戻るから。んで、リロにもし何かされそうになったりしたら俺達の事は構わず入口に走ってくれ」
「嫌です」
「アン様」
 珍しく、タンタがアンを宥める番でした。名前を呼ばれたアンは捨てられた飼い犬のようにしょんぼりと肩を落とします。タンタは思わず言葉に詰まりましたが、ひとつ咳払いをしてマニ洞窟の奥を見つめました。
「アン様がいなくなったら、それこそシーラ村は終わっちまう。それだけは何としてでも避けたい」
「でも……」
「俺を信じてくれ」
 ぐっと息を飲み込んだアンが俯くと、ゆるりと横髪が肩から落ちてカーテンのようにアンの表情を隠しました。ノネムはそんなアンに何か言おうとして、何も思いつかなくて、ぼんやりと眺めます。すると、先程からずっと黙っていたリロがからりと声をあげました。
「リロはアンとお留守番ってこと?」
「あぁ、そうなるな」
「わかった〜!いってらっしゃ〜い」
「アン様に何かしたら承知しないからな」
「大丈夫だよ〜」
 ひらひらと手を振るリロを軽く睨み、それからタンタはノネムに「行くぞ」と声をかけ歩きだします。ノネムは後ろ髪を引かれる思いでタンタを追いかけました。

「……行っちゃったね、タンタ。アンを置いて」
 ぽつり、静かに零れたリロの声に、アンは返事をしませんでした。