アンとタンタはずっと互いに黙りこくっていましたが、草を踏みしめる音でハッと顔を見合わせました。そして先程ノネムが去っていった方を注視していると、そこから少し疲れた顔をしたようなノネムが出てきたのです。アンは喜び、タンタは気まずそうに迎えました。
「ノネム、ありがとうございます」
ノネムから濡れたハンカチを受け取ったアンは、黒い痣のある手首を拭き取ります。するとそれはするすると灰のように消えていきました。最終的にすっかり元の肌に戻ったアンは、目を丸くしてノネムを見ます。しかしノネムの口から出た言葉に、更に目を丸くしました。
「レイラが『未だ神の声は聞こえるか?』ってアンに伝えてって」
「レイラ?」
思わず聞き返したのはタンタでした。
「うん。湖で会った」
「なんでまた……。ほんと、何考えてるかわかんねぇなあの人」
ノネムは他にもハルがいたこと、マニ洞窟に一緒に行かないかと誘われたことを伝えようとしましたが、目の前のアンが強ばった表情をしているのは自分のせいなのかと思うと言葉が上手く出てきませんでした。
「つーかノネム!」
「な、なに?」
『疫病神!』と叫んできたタンタを思い出して身構えたノネムが一歩下がると、それを見たタンタは「あ~……」と自分の頭をがしがし掻いて居心地悪そうに視線をさ迷わせます。やがて意を決したように息を一度だけ大きく吐くと、今度はしっかりとノネムの目を見て言いました。
「俺はやっぱりノネムが弾くピアノを認めることは出来ない。実際ピアノのせいじゃないのかもしれないけど、どっちみちアン様を傷つけたキッカケにしか今は思えないから。……でも、ノネムは信じるよ」
「え……?」
「だから!その……、……疫病神とか言って怒鳴ったりしてごめん。正直まだ俺は不服だけど、アン様がノネムを信じるなら俺もそれに従いたいから」
「ううん……?」
「だぁ!もう!なんでわかんねぇの!てかなんて言えばいいんだよ~俺がもうわかんねぇよ~……」
項垂れたタンタにあわあわとノネムが慌てていると、そこでふと静かなアンに二人とも気づきます。そしてゆっくりとアンの方を向くと、アンは大層顔色を悪くして地面を見ていました。
「……アン様?大丈夫か?」
「あ、あぁ、……はい、すみません、大丈夫です」
タンタからの呼び掛けでアンはハッと顔を上げると、申し訳なさそうに眉を下げて笑いました。
「怪物に触れられたんだから、なんかあったらすぐに言ってくれよ」
「そうですね、気をつけます」
「今は大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。少し、怪物について考えていました」
ノネムはいつもとどこか違うアンに気づきましたが、やはりそれを伝えることは出来ず。改めてマニ洞窟に向かう二人の背中を、小走りで追いかけることしか出来ないのでした。
三人がマニ洞窟の入口近くに着くと、そこに一人立っていることに気づきました。念の為気をつけるようタンタが注意を促しつつ更に近づくと、ノネムは見知った人であることに気づき、名前を呼びます。
「リロ!」
「ノネムの知り合いなのか?」
「知り……合い、なのかな」
「なんだぁ?それ」
とにもかくにも敵ではなさそうだと判断したのか、タンタが警戒を解いてそのままリロに近づきます。リロはやってきた三人をゆっくりと待つと、やがて嬉しそうに歩み寄り挨拶をしました。
「やっほ〜、ノネム!」
「や、やっほー」
ノネムがぎこちなく返した挨拶に満足そうにリロは頷くと、タンタとアンの方を向きます。リロと視線が噛み合った二人は、妙な感覚に陥りました。なんだか、不思議な感覚でした。
「タンタと、アンだね?」
「なんで俺達の名前知ってんだ?」
「さぁ、なんでだろう!」
リロはぴょこっとアンに近づくと、にいっと笑いかけました。慌ててタンタがリロを押しやると、またまたリロはぴょこっとアンに近づいて笑いました。
「ふふふ、ふふふ」
「な、なんですか」
問いかけに、リロは「なんでもな〜い」と答えると、一歩後ろにこれまたぴょこっと離れてノネムの方をまた向きます。
「マニ洞窟行くんだよね?リロもついてく!」
「ちょ、ちょっと待てって!」
「え〜、なぁに?」
リロがムッとした表情でタンタを見ると、タンタも同じくムッとした表情をしました。
「お前誰だよ!」
「リロだよ!」
「うっ、いや、名前……もだけど、どこ出身とか、そういうの」
「出身?リロは神の使いだからそういうのはないよ〜。あ、でも神様から生まれたからそこが出身?になるのかなぁ」
「はーーーー?」
大きく首を傾げたタンタはアンの方を向くと「こいつ知ってるか?」と尋ねます。アンも同じように首を傾げると「いや……」とやんわり否定しました。その様子をじぃっと楽しそうに見ていたリロは、一度カラリと笑うと二人を気にせずノネムの背中を押します。
「さぁ行こう行こう、とにもかくにも時間がないらしいから」
「え、あ……」
「二人も、本当に知りたいならおいでよ。本来は人間は来ない方がいいけどさ〜」
「リ、リロ」
「なぁにノネム!」
「ボクも人間だよ」
「……まぁ、そうだね!けどノネムは特別な人間だからいいの!」
「リロは人間じゃないの?」
「ふふふ、リロは人間じゃないからいいの!」
「……え?」