教会に残されたノネムは、アンに言われた通り動かずじっと座り続けていました。そうしているうちに、ぎぃっと大きな音を立てて扉が開きます。アン達にしては帰ってくるのが早いな、と思いつつ振り向くと、そこにはさっきタンタを呼びに来た背の低い一人の青年、ハルがいました。
「あれ、一人?」
 その言葉に頷くと、ハルは「そっかぁ」と言いながらポスッとノネムの隣に座ります。そして思い出したかのように「あ、隣に座っても大丈夫でした?」と聞きました。ノネムがもう一度頷いてみせると「よかったぁ」とハルは胸をなでおろします。それからまた、思い出したかのように「お祈り忘れてた!ちょっと待ってくださいね」と言うと、今度はノネムの反応を待たずして、両手を胸の前で組み目を瞑りました。
 ノネムはハルの勢いにただ流されるだけでしたが、お祈りをしているハルを見ると不思議と落ち着く気がしました。しばらくするとハルは組んでいた手を解き、ノネムの方をパチリと見ます。
「それは、何をしているの?」
 そうノネムが尋ねると、ハルは首を傾げました。ノネムがさっきまでハルがやっていたように手を組んでみせると「あぁ!」と、そこでようやくハルは質問の意図に気づきました。
「お祈りをしているんですよ。神様に」
「お祈り?」
「今日もみんなが幸せでありますように。今日は昨日より笑えますように。そんな風にお願い事をこっそり胸の中で伝えるんです」
「神様は叶えてくれるの?」
「さぁ、どうでしょう。結果はあんまり気にしていないので……」
「え……?」
「結果より、お祈りをして自分の心を落ち着かせるのが目的なのかもしれないなぁ」
 ところで貴方の名前は?
 少しだけ独りごちた言葉を零していたハルは、ふらっと優しい笑みをノネムに向けました。聞かれたノネムが名乗ると、ハルは「良い名前ですね」と表情を変えず言います。
「……アナタは、ボクのことを疫病神って言わないの?」
「疫病神?」
 キョトンとしたハルに、ノネムはアンやタンタに疫病神と呼ばれたことを話しました。するとハルはまたふらっと笑って目を細めました。
「貴方にはノネムくんって素敵な名前があるじゃないですか」
「知らない人とは一緒にいたくないんじゃないの?」
「それ、どうせタンタ辺りに言われたんでしょ」
 手持ち無沙汰に膝の上で手を動かしはじめたハルは自由気ままに話を続けます。
「あの二人は特に、下手に大人の考えを持っちゃってますからねぇ……。学舎も行けてないのに、難しいことばっかり言うでしょ?育った環境的に仕方ないんだろうけど、私はもっとあの二人には子どもらしいこともやってほしいんですよ」
 不意に横目でこちらを見たハルに、ノネムはパチリと目を瞬かせます。
「ノネムくんのお母さんは、どんな人でした?」
「……わからない。ボクは記憶がないのかも、ってアンは言ってた」
「おや。それは大変だなぁ……」
 ハルはまた視線を手に戻すと、口元に笑みは絶やさないまま、しばらく黙りました。やがて少しの時間が経ってから、手を止めて話し出します。
「アン様とタンタはね、親がいないんです。アン様は産まれた時から。タンタはとある事故で。……だから余計に、誰かに無償で甘える事を知らないまま育ってしまったんだと思います。私は母に愛を貰って育ってきたけど、あの二人は違う。代わりに私が親のように愛を与えても、気づいてもらえない。まぁそれでも、私はあの二人を愛し続けますけどね。家族として。友として」
 ふとそこで話を区切ると、ハルはまた胸の前で手を組み目を瞑りました。
「神様。どうかあの二人に、幸せが訪れますように」
 そうして目を開けると、ノネムの方を見て朗らかに笑います。
「今話した内容は、あの二人には内緒にしてくださいね」
「内緒?」
「私と、ノネムくんの、二人だけの話です」
 承諾の意を込めて頷くと、同じようにハルも頷き返しました。それからハルは腰に下げていた小さなポーチを探ると、ひとつ白いものを出してノネムに差し出します。
「……?」
「マシュマロです。食べたことはない?それとも忘れちゃってるのかな」
 受け取らないノネムに気づき、ハルは小さなマシュマロを真ん中から二つに割ると、片方を自分の口に入れました。そのままもぐもぐと食べ、頬を緩めます。
「おいし〜」
 そしてもう片方をノネムに差し出すと、ノネムはおずおずと半分になったマシュマロを受け取りました。しっとりした肌触りのそれをゆっくりと自分の口に含むと、ふわふわした、けれどほんの少しの弾力もあり、大層甘い味が口を満たして。味わったことのない味に、感覚に、感情に、ノネムは思考までもがふわふわしました。
「その様子だと美味しいみたいですね、よかったぁ」
 もうひとついります?
 なんて言うハルに、ノネムはこくこくと頷きます。ハルはなんだか嬉しくなって、ノネムに両掌を出させるとたくさんのマシュマロを乗せてやりました。慌てるノネムに、一つずつゆっくり食べればいいと伝えれば、彼はまた頷いて、一つ摘んで食べて。その様子をしばらく見てからハルは立ち上がります。
「アン様を探しに来たんですが、そろそろ来そうですね」
「わかるの?」
「なんとなく、ですけど」
 するとタイミングよく教会の扉が開いて、アンとタンタがやってきたのです。ノネムが驚いてハルを見上げると、彼は嬉しそうにウインクしてみせました。
「こういう勘は当たるんですよ」
 それからこちらにやってきた二人に対し、やはりハルは笑みを絶やさずに口を開くのでした。