未だシーラ村はバタバタと騒がしく、目立った暴徒はいないものの普段通りとは呼べないものでした。アンはレイラを探しつつ、おそらく集会所にいるのであろうと目星をつけて歩みを進めます。そして着いた集会所の扉を開ければ、そこには予想通りレイラが数人の警備隊と話し込んでいました。レイラはアンに気づくと警備隊達に外に出るように言います。しばらくしてタンタも合流し三人になると、ようやくアンは重たい口を開きました。
「村に住まう人から聞きました、現状を。私はずっと、皆平等に暮らしていると思い込んでいましたが、そうではないのですか?」
「……」
「餓死か退去かなんて酷い選択肢をどうして与えたのですか」
 レイラは微塵も表情を変えません。冷えた瞳のまま、言い放ちます。
「村の為、とでも言えばよろしいでしょうか」
「……何を言っているのですか」
 今までレイラと意見が違ったことは何度もありました。けれどその度にちゃんと話し合い、認め合い、分かり合ってきたのです。それが今やどうでしょう。雰囲気から何まで、レイラは別人のようでした。
 あなたも、村の人々のように変わってしまうのですか。
 アンはそんな思いを胸の奥でグッと落とします。だって、もしかしたら周りが変わってしまったのではなく、自分が気づいていなかっただけなのかもしれないのだから。そう、さっき知ってしまったのだから。
「アン様は、全員が苦しみ続けるか、少数の犠牲で大多数が助かるか、どちらが良いと思われますか?」
 集会所の椅子にレイラが座ると、そんな問いかけをアンにしました。アンは質問の意味こそ最初はわかりませんでしたが、少し考えた後に自分の質問に対する答えをレイラは提示しようとしているのだと気づきます。
「……全員が苦しまないよう努力します」
「努力……。……その言葉で救える命があれば良いのですが、現実はそうも行かないのですよ」
「どうして……」
「シーラ村の食糧問題は年々悪化しています。このままだと村の存続にも関わってくる。だから私は少数を切り捨ててでも村の為にと動いてきたのです」
「どうして、私には何も教えてくださらなかったのですか!」
「どうして、ね……。アン様にお教えして、何か変わるのでしょうか」
 レイラの言葉に、アンの頭の中は真っ白になりました。
「確かに神様はいるのでしょう。けれど神様は私達の今日を救ってはくださらない」
「そん、なことは……」
「アン様もよく言われるでしょう?『これは神からの試練だ』と。『神は物事を良い方向に向かわせるだけではなく、人間の為に苦行も強いる』と。でもそれで命ごと消えてしまっては元も子もない。人間はただなすがまま滅亡の道を歩むのか?否!人間だからこそ足掻くのです!醜くても!」
 大きな音を立てて机に両手を置いたレイラの目は、強く、逞しい、野心に溢れたものでした。威圧されたアンは、ごくりと唾を飲み込みます。
「すべてが神の手のひらの上だったとしても構わない。ならばこちらはそんな神すらも利用すれば良いのだから!」
「なっ……」
「罰当たりだと思いますか?でもそれで成り立っているんですよ、今現在は。村の人々はアン様のおかげで妄信的に神様を信じていられる。神に縋って祈って、生きる意味を見い出せる。そして裏で私が村全体を平均化し、平等を保てるようにするのです」
「……それが、少数を切り捨てる事になったとしても?」
「おや、物分りがよろしいようで」
 アンは頭がクラクラしました。ふらつくと、後ろにいたタンタが背中を支えてくれます。そこでようやくタンタの存在を思い出しました。そういえばタンタは。
「タンタは、この事を知っていたのですか」
 村の警備隊に所属している彼ならもしかしたら。
 そんな思いは、タンタの曇りきった表情を見て的中したと知りました。小さく「ごめん」と呟かれたその真意は、アンには分からず。それは何に対しての謝罪なのかと聞こうとして、出来なくて、ぴたりと口を閉じました。
「そうだ、アン様。あの少年に関してですが現在怪物の件で対処が出来なさそうなのです。なので元いた場所に解放してきてください」
「……彼は記憶をなくしている可能性が高いので、記憶が戻るまでは村の外で一人にさせる訳には行きません」
「アン様、ここは慈善団体ではないのです。村人にさえ怪物のせいでろくな生活を与えられないというのに……見知らぬ人物を迎え入れる事は困難でしょう」
「……」
 心のシワがぽつり、ぽつりと消えていく。アンは未だかつてない感情に囚われていました。それは神の使いとしてではない、自分自身の知らない、何か。周りが変わっていくのと同じ速度で、いや、それ以上に……。自分も変わっているのかもしれない。変わらなきゃいけないのかもしれない。変わるというのはもっと、根本的な所なのかもしれない。
 すぅっと大きく息を吸うと、きゅっと手に力を込めました。そうして見据えたレイラの姿は、なんだか知らない人のようで。
「怪物の件が解決すれば事態は変わりますか?」
「完全にとは行きませんが、今よりは改善するでしょう」
「ではレイラ、取引をしましょう」
「ほう?」
 先程までとは温度の変わった相手に、レイラの口元は緩みます。
「村人達の退去を延期してください。可能ならばなかった事に」
「こちらの利益は?」
「私が怪物の件を解決します」
「なるほど」

 レイラは立ち上がるとアンの目の前に歩み寄り、跪きました。

「アン様。期待しております」
「えぇ。シーラ村に神の御加護があらんことを」

 それはいつも交わされる二人の会話と同じで、けれど確実に何かが違う、奇妙な会話でした。