アンがぼんやり目を覚ますと、それと同時に首の辺りに痛みを感じました。顔を歪めながら今の状況を把握しようと周りを見渡すと、男とぱっちり目が合います。
「おぉ、起きたか」
その男は村に住んでいる男で、アンにとって見覚えがありました。次いで辺りを確認すると、同じように村に住んでいる男達が四人ほど立って自分を見下ろしていたのです。
これは一体……?
今一度自分自身を確認しても特段拘束されたりしているわけでなく、どこかに閉じ込められているわけでもない。おそらく村の外れに連れていかれたこの状況を、アンは理解出来ませんでした。ただ一つ、目の前の彼らが普段とは違う雰囲気な事だけは、否応なしにわかりました。
「こんにちは」
とりあえず挨拶を告げると、男達は鼻で笑います。そのうち、最初にアンに気づいた男が目の前にしゃがんで言いました。
「よぉ、目覚めはどうだ?」
「あまり良いものではありません」
「そりゃそうだろうな!でもなぁ、俺達の方がずぅっと目覚めの悪い思いをしてんだ、堪忍してくれよなぁ」
どうしてこんな事をしたのか。何があったのか。
それらをアンは聞こうとして、けれど本当に普段と違う彼らに言葉が上手く出てきません。グッと手に力を込めて、アンは必死に思考を働かせました。
「何が目的でしょうか」
「ハッ、んなもん色々あるけどよぉ、そうだなぁ、一番はアンタを殺すことかねぇ」
非日常の言葉。
「俺達はもううんざりなんだよ。この村で生きていくのも、よくわかんねぇ怪物に脅えて暮らすのも!」
投げつけられる言葉。
「お前を殺して、スカッとして、そっからお前を洞窟に捧げんだ」
信じられない言葉。
理解できない、……理解したくもない言葉に、アンは耳を塞いでしまいたくなりました。けれど、自分がこの人達と向き合わなければ誰が他に向き合うのかと考え、震える声を必死に隠して問いかけます。
「……どうして、私を殺すのでしょうか?」
「あ?腹立つからだよ」
「私はあなた達に何かしてしまいましたか?」
「そりゃあなぁ。お前達はぬくぬく神を信じて暮らしてるが、そんなもん俺達には関係ないんだよ。俺達は毎日生き延びるのに必死必死。その日の飯すらギリギリだってのに」
「え?ど、どういうことですか」
「だからどういうこともクソもねぇよ、お前はどうせ幸せに生きてるから知らねぇんだろうが、この村は狂ってやがる」
「俺の家なんかついに退去命令出されて終わりだしなぁ」
「俺んとこもそろそろ言われるんだろな、飢え死にするかこの村を出ていくかって」
教団顧問のレイラはいつも言っていました。「この村は全ての人が幸せになれるよう、全ての人に平等であれ」と。実際、村の人々は裕福ではなくとも平等に生きていると思っていたのです。だから目の前で行われる会話は耳を疑いたくなるものばかりでした。
「それでな、マニ洞窟の騒動は生贄を捧げればどうにかなるって噂があるんだよ。だから神の使いらしいお前を与えりゃいいんじゃねぇかってな」
こりゃ名案だ!と笑い合う男達をアンはどこか客観的に見ると、ゆっくりと体勢を変えて胸の前で手を組み目を瞑りました。それはいつも神にお祈りする時の姿でした。その姿を見た男達は思わず口を閉ざします。それほどまでに神聖な空気をアンは出していたのです。
どれくらいそうしていたのか。しばらくするとようやくアンは目を開き、手を組んだまま男達を見つめます。男達はアンの澄んだ瞳にハッと目を奪われました。
「あなた達の言うことは最もでしょう。私は愚かでした」
「は、はぁ?急になんだよ!」
「神のお告げを聞きました。あなた達は人殺しには向いていない、本当は優しい心の持ち主でしょう。今回このような動きを起こしたのも、誰かを、自分を守る為。仕方のない事だと」
アンの言葉に男達は自然と黙り込みます。
「私は今回の件をとても悲しく思います。なので、私に一度だけ機会をくださらないでしょうか?きちんとあなた達にも食料や物資が行き届くよう、退去などしなくてもいいよう手配致します。私からレイラに伝えればレイラは断れないでしょう。そしてマニ洞窟の件も私が自ら赴きましょう。生贄というものは生きた状態でなければ意味がないでしょうから」
「ま、待てよ、お前、生贄になる事に抵抗はないのか?」
「ありません。それが神のお告げならば」
その決意は、いっその事恐怖を覚えるくらい清々しいものでした。実際アンの心の中は後悔や抵抗などいう気持ちはほとんどなく、それよりも自分の知らない世界の事実の方が怖かったのです。
真っ直ぐな瞳に貫かれた男達は気まずそうに顔を見合わせます。やがてそのうちの一人がアンの腕を掴み、ゆっくりと立ち上がらせました。
「……悪かった。やっぱり俺らはアン様を信じるしかねぇんだと思う。こんな若い奴に全て任せるのは心苦しいが……、でも、そうすることしかもう出来ねぇ。どうか、お願いします」
頭を下げる男に続き、他の男達も頭を下げます。やはりどこまでも純粋な気持ちを捨てきれない村人達に、アンはほんの少し胸を撫で下ろしました。自分の知っている優しい村人の姿は完全には消えていなかったのです。
アンも同じように頭を下げると、村の中心に連れて行ってほしいと頼みました。快く承諾した男達の後ろを歩きながら、そっと息を吐きます。
あぁ神様、あなたはどこまで私を試すのでしょうか。
そんな事を思いながら。