好きだから。好きすぎるから。伝えるのはやめようと思った。
【卒業展の期限について】と書かれたプリントを指先でなぞっては、締切の日付を恨みがましく睨みつける。もう一週間も前になるその日付は、私にとって小さな記念日だ。あんまりよろしくない意味での。
未練がましいと思われるかな。ていうか私だってバレちゃうかな。数あるうちの一つなんだから大丈夫かな。
ぐるぐると考え込んでは、着地点が見つからなくて脳内で大怪我をしまくる。次第にぐちゃぐちゃになって、最終的に思考を放り投げた。
「そろそろ飾りつけ始めるってー!」
そんなタイミングで友人の声がして、「はーい」と重い腰を上げる。それと一緒にカバンから大きめの封筒を取り出した。中身はたくさんの写真だ。かけがえのない思い出達は卒業展という晴れやかなステージで煌びやかに飾られていく。
もちろん、私が撮った写真達も。
「え、それ何?」
「購買!学生の思い出といえば購買っしょ?」
「にしてもテーマに沿ってんの?」
「沿ってるんだよなぁ」
ピークをすぎた購買の写真。もうパンやおにぎりはほとんど売り払われていて、残っているのは割引された余り物達。写真として切り取ると少しばかりシュールな気もするけど、私にとっては初まりの光景でもあるのだ。
あの子は、覚えているだろうか。
高校を卒業したら絶対に一人暮らしをすると決めていた私は、常日頃節約をモットーにしていた。だから、昼ごはんにお母さんが渡してくれた五百円をなるべく使いたくなくて、購買で割引された余り物を食べるのが日課で。人があまりいない中で購買のおばちゃんと世間話をしながらの買い物は意外と気に入っていた。
その日は、私以外に人がいなかった。おばちゃんさえもいなくて、仕方なしに三割引になったクロワッサンを手に取り代金をレジの傍に置く。ついでにメモでも残そうかとポケットからメモ帳とペンを取り出した。その時だった。
「あの……」
後ろから声がして、振り向けば一人の男の子。おそらく下級生と思われるその子は、私に向かっておずおずと話しかけてきた。
「ここで何かを買う時は、お金を置いていけばいいんですか……?」
「あぁ……」
どうやら初めての購買らしい。私でさえイレギュラーな今日が初めてとは、ハードルが高すぎるよね。
「普段は購買のおばちゃんがいるんだけど、今は留守中みたい。私、メモ残すつもりなんだけど、あなたも何か買うならついでに書こうか?」
「あ、お願いします……」
何を買うのか聞けば、カレーパンを手に取る男の子。それから代金を私が置いたお金の隣に置いたのを確認して、新たに書き終えたメモも添えておいた。きっとこれでおばちゃんはわかってくれるだろう。
「これでオッケー。カレーパンが割引になってるの初めて見た。レアだよ、いつもは人気だからそれ」
「そうなんすね」
「うん」
そこで会話が途切れたから、まぁ変にお節介しすぎるのも……と購買を後にしようとする。と。
「あの、オススメの食べる場所とかありますか」
まだ、話はこれから。
だがしかしこの後の展開としては本当に無難で、時たま購買で会ったら二人で陽の当たる中庭にてぽやぽやとパンを食べるだけ。これ以上でもこれ以下でもない私達は、どうしようもなく心地の良い距離感にずっと甘えていた。二つも年下だった男の子は、無愛想な見た目とは裏腹によく笑う人で。
好きだなぁと、思う。
けど、それを伝えるつもりは全くと言っていいほどなかった。彼も私の事を好きなんだろうな、なんてのは自惚れかもしれないけど伝わってきていて。付き合ってもきっと心地よい距離感のまま、暖かい時間を過ごせるんだろうなとも思う。なのに一歩を踏み出せないのはどうしてなのか。
自分がもうすぐで卒業してしまうのもあった。一人暮らしを始めてたくさんの経験を重ねるだろう私に対し、彼はその時まだ高校二年生だ。青春真っ只中の時に私のせいで身動きを制限したくはなかった。それに、この学校にはジンクスがある。
『付き合っても一ヶ月で別れる』
そんな、誰が作ったのかもわからないジンクスを、私はバカ正直に信じていたのだ。信じて、そして、利用していた。ジンクスがあるから付き合えない、なんて逃げ道を作っていた。
一度、彼から彼氏はいるのか聞かれたことがある。
「この学校のジンクス知ってるでしょ?怖くて作れないよね」
そう言って笑ったら、彼は押し黙ってしまった。それ以来、恋愛話はどちらともなんとなく避けるようになっていた。
「クラスで写真撮るって!」
「あぁうん、ちょっと寄り道してからすぐ行く!」
卒業の証である花を胸に飾り、校内を走る。ちらっと姿が見えたから思わず追いかけてしまった。
「おばちゃん!」
ついた先の購買は卒業式当日だと言うのに開店していて、でも売り物は何も無くて。優しい顔で笑いかけるおばちゃんを見て、鼻の奥がツンとした。
やだな、卒業式ではちっとも泣かなかったのに。
「あら、元気そうでよかった。せっかくだからみんなの顔を見に来たの。今までありがとね」
「こちらこそ、いっつも割引ばっかり買う学生ですいませんでした……」
「ううん、余るくらいなら誰かに食べてもらった方が嬉しいに決まってるでしょ!それより卒業展見たわよ。購買の写真ってもしかして」
「あぁ、私ですそれ……」
「やっぱり!店員冥利に尽きるねぇ。本当にありがとう。あ、そういえば一度カレーパン買ってた時あったわよね?ふふ、美味しかった?」
「カレーパン……」
もう、ダメだった。涙を抑えきれなかった。思い出の場所、思い出のパン。こんな未練がましい癖に、なにが逃げ道なんだ。告白しちゃえばよかった。好きって一言伝えればよかった。ジンクスなんて気にしてないの、本当はこの時間を失いたくないだけなのって言ってしまえばよかった。ていうか、向こうだって勇気出して告白してくれればよかったのに。そもそも私の事は普通の先輩だったの?
ひとつ溢れ出したら、どんどんと溢れて止まらなくなる。それは、今までどうにか割り切ろうとして割り切れなかった思いだった。
私の方が先輩だからって大人ぶって。好きだから、好きすぎるから、伝えられなくって。私はなんて臆病なの。卒業展のあの写真だって、ただの未練の結晶じゃんか。
あぁもう、なんで上手くいかないの。
「美味しかったです、カレーパン」
あの子は、覚えているだろうか。嬉しそうに頬張っていたカレーパンの味を。私は結局最後まで食べることはなかったけど、その表情でお腹いっぱいになれた。
そんな光景を思い出しながらなんとか答えたその言葉は、きちんとおばちゃんに伝わったようで。「よかった」と優しく微笑まれて、私はまた涙を流した。
もう、賞味期限切れの恋だ。割引されても買われなかったのならば、それはもう廃棄処分だ。
三割引された恋じゃ、私はヒロインにはなれない。