本日は
声のプロフェッショナルが奏でる日本文学
『三つの愛と、厄災』
というとても素敵な朗読劇に出演させていただきました。


色々思うところはあるのですが、このブログではひたすらに個人的な解釈や想いをつらつらと書き綴ろうと思います。

本当にこれは1個人の感想なので、あしからず。



まず第一に、今回朗読劇に来られなかったという方は是が非でも原作を読んでほしいです。
そうすれば恐らく私の感想も理解出来る(はず)なので……。
(そしてネタバレになるので先に原作を読むことをオススメします)

そして来てくださった方は、あの瞬間を思い出しながら、はたまた台本を購入していただいた方は台本と照らし合わせながら……、楽しんでくだされば。



ではいざゆかん感想の旅!






菊池寛「マスク」

まるで令和の今に書かれたのではないか?と思われるほど生々しい話です。

マスクをつける習慣、それが例え一時的にウイルスを跳ね除け、もうつけなくてもよいとなっても、その習慣は、心に根付いた思いは……。


現に私自身、イベントなどでマスクを外させていただく機会があるのですが、マスクなしだとなんとなく違和感が生じてしまうんですよね。

今まではマスクなしが当たり前だったのに。

今ではマスクがある方が当たり前に。


更には黒マスクも昔はやべーやつがつける色!とか考えてたんですが。(笑)(陰キャオタク)(コーナーで差をつけろ)


今ではマスクの色でその人らしさやオシャレを楽しめるのかな、と考えもすっかり変わっています。



今後コロナ禍が落ち着き、もうマスクはつけなくてよいよと言われたとして。

一体私はどれくらいからマスクを外す勇気が出てくるのでしょうか。

また、マスクなしの生活に慣れる日は、どれくらいで訪れるのでしょうか。


冒頭でも書きましたが、この「マスク」という作品は実に生々しい話だと私は思います。


『当たり前』は、知らない間に更新されていく。


その波に、一体私は、そしてこれを読んでいるあなたは、どれだけ乗れるのでしょうね。








堀辰雄「風立ちぬ」

節子を演じさせていただきました。

「風立ちぬ」自体は読んだことあったのですが、その時は主人公である『私』目線しか意識していなかったので、今回はとても新しい発見がたくさんありました。

そもそもにこの作品は終わり方にたくさんの考察が生まれています。

悲劇ととるか、美しい愛の物語ととるか。


実際、あれだけ『節子』と呼んでいた『私』が、節子が病にどんどんと蝕まれる内に『病人』と呼び出すことが、とても印象的ですよね。

それは無意識の拒絶なのか、意識的な見ないフリなのか。

私には残念ながらそこまで理解出来ません。

ただ、確かに『私』は節子を愛していたと思うのです。

サナトリウムまで共にし、書こうとする小説だって彼女をヒロインにしようとした。

『私』の人生の中心には『節子』が確かにいた。

呼び方は、『節子』から『病人』へ。『病人』から、『お前』へ。


互いに心の支えにしていた事は、確かなのではないかなと思います。



そして節子を演じてみての感想ですが、元々かなり悩んでいました。

死にゆく人の心情は如何に、と。

彼女はどうして死を前にしても微笑むのか、と。


ですが、本番中にこれらの悩みは自分の中では解決しました。


阿座上さんが演じられた『私』がとても優しかったのです。

そんな風に優しくしてくれる人が傍にいてくれて、きっと嬉しかっただろうし、申し訳なかったんだろうなぁと。

不意に思いました。


弱っていく心と体。

傍にいてくれる大切な人さえも、どんどんと弱ってしまっていて。

どうしようもない歯がゆさの中で、それでも忘れられない大切な言葉や景色、夢や希望があって。


最期まで互いを思っていた、そんな物語だと今回の朗読劇では思いました。


きっと、演じる人や読んだ時によって、この作品は受け取り方が変わっていくのでしょうね。


だから朗読劇は面白い。







太宰治「パンドラの匣」

この作品は一貫として勢いが好きです!!

『ひばり』の飄々とした口調で語られる手紙の内容は、実に見ていて聞いていて楽しいですね。


内容としては、終戦後、変わっていく世界の中で、『健康道場』という場所を通してたくさんの想いが交差する話だと思っています。


私はマア坊を演じさせていただきました。


マア坊は若く、快活な女の子です。

真っ直ぐな性格、かと思いきやだいぶ不器用で、可愛らしいなという印象を抱いていました。

ひばりが少し斜めな物の見方をしていたり、竹さんが大人な対応や行動をしている一方で、真っ直ぐ真っ直ぐなマア坊。

その姿は、終戦後、更には結核療養所という重たい空気の中、カラッと晴れた青空のような女性だなと思いました。


私的には、最後のひばりと竹さんの会話がしみじみしてしまいましたね~。

声を通して聞くと、グッとくるものがあるなぁと感じました。

文字だけでは伝わらない、言葉の奥の奥にある感情。

それが見られるから朗読劇って面白い!!()








坂口安吾「夜長姫と耳男」

夜長姫を演じさせていただきました。

かなり難航しました。

練習でもたくさんのディレクションをいただき、本番直前ギリギリまで演技の方面に関しては色々と考えていました。


この作品は『狂気の愛』。この言葉がピッタリだなと思います。

歪んだ愛は時として死を選ぶのだと。

その死すらも、両人にとっては幸せなのだと。


正直この作品を初見で読んだ時「なんだこれは……」と思っていたのですが、著者である坂口安吾の生涯を思えば「なるほどな……」とも思える作品でした。

『狂気な愛』

裏を返せば

『愛は狂気』

坂口安吾自身、幾度とない近しい人の死の知らせや、自身の身体精神の崩れ。

「生きよ堕ちよ」

というのは、一度堕ちた事のある人間だからこその言葉だなと思います。

『堕落論』という作品の中ではそれを深く書いています。
こちらも読んでみると、坂口安吾という人物ごと楽しめるかもしれません。


話を戻します。


詳しい作品の解釈や感想は自分自身で考えてほしいなと思うので、演じた夜長姫の話だけします。

当初のイメージは狂気しかなかったのですが、実際それは全くと言っていいほど違いました。


確かに他者から見れば『狂気』でしたが、当人からすればそれは何ら変わらないただの『性格』なのです。


耳男の耳が、態度が面白かった。

死にゆく人が素晴らしいと思った。


そんな単純な考えなのかもしれません。


それらを愛おしいと強く思ったがゆえに、彼女は止まらなかった。


耳男もきっと、同じく止まらなかった。


結果的に彼女は死を遂げますが、その死の意味は、どんなものなのでしょうね。

死を遂げた時、夜長姫はどんな気持ちだったのでしょうね。


私自身、なんとなく思うところはあるのですが、こればかりは私の意見に誰も左右されて欲しくないので控えます。


ただ余談なのですが、本番だけ起こった出来事がありました。


夜長姫を演じてて、笑いが止まらんのです。


耳男役の夏川さんが狂えば狂う程、苦しめば苦しむ程、嬉しくてたまらなかった。


もがく人間は、なんと美しく魅力的なのだろうと思わずにはいられなかった。


練習ではセリフの所や必要な部分でしか笑わなかったのですが、本番ではもう耳男が喋る度に笑顔が込み上げてしょうがなかったです。


これも夜長姫に私がのまれたという事なのでしょうか。


結果、『死ぬほど』楽しかったですが……。











今だからこそ出来る作品達を、今だからこそ出来る演出で行えた事を嬉しく思います。

最初、このお話を聞いた時、どうしてこのメンツに私が入れたの!?余りにも実力不足なのでは!?
と不安でした。

まぁ実際やってみてやはり実力不足を嫌という程実感したのですが、そのお陰でもっと頑張ろうと思えたので有難いです。

(実力不足とか言ってる割にこんな大層に語ってて本当にすいません地中からやり直してきます(?))

朗読は私の原点です。

もっともっと磨いていきたいなと思います。





最後に。


本日のツイートで、

今回の作品では3作品とも別の女性を演じましたが、3人とも『愛のある笑顔』が特徴的だったと個人的には思っています。

生きるに笑顔はとても大切だから。

と記載しましたが、それの追記をさせてください。




節子は無理をしてでも想いから笑っていて、
マア坊は自然に笑っていて、
夜長姫は心から笑っている。


そんな風に今回私は思いました。

声優は声で演技をしますが、声って表情でかなり変わると思うんです。

普段生活していても、表情から受け取れる情報って結構多いですしね。


だからこそ!


私は朗読が好きですし、笑顔も大好き!!


その想いが1人でも多くの人に伝わればなと思います!!!



願わくば沢山の人が、これからも多くの笑顔で生きていますように。





あでゅ~!