あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーったまいったい。かち割れそう。ズキズキというよりはガツガツ来てる。私が一体何をしたよ、頭。これは気圧の影響なのか?体調不良なのか?それともストレスなのか?原因が分からないけど動きたくないのは確か。
 だがしかし時間というものは無情で、けたたましくアラームが鳴る携帯を操作し止めた私は頭を抱えながら朝を迎えた。
「大変申し訳ございません」
 その数時間後には会社にて謝罪。
「申し訳ございません」
 謝罪。
「すみませんでした」
 謝罪。
 私が一体何をしたよ、会社。とでも言いたくなるくらい、頭痛と戦いながら孤軍奮闘していた。
「佐藤さんさぁ、昨日メールしたじゃん」
 課長が私の所にやってきて、どさりと重そうなファイルを机に置く。
 昨日、って言うけど、深夜の三時はお前にとって昨日なのか?太陽が昇るまでは日付変わらないのか?しかもメールだけじゃなく電話までしてきたよな?どういうメンタル?俺が働いてるのにお前が働いてないのはおかしいって?どんな一蓮托生だよ。御免こうむりたい。
「はい」
 そんな気持ちを込めて返事をする。まぁ、伝わらないが。
「それで?堂々遅刻して?まだ資料も出来てない感じ?」
「はい」
「いやいや、はい、じゃないんだよぉ~」
 は?返事はいつでも元気よく『はい』だと研修で教えたのは貴方ですが?
「困るんだよぉ~。納期わかってんのか?間に合いませんでしたじゃ済まされないんだよ社会ってのはさぁ」
「……すいません。朝は頭痛で動けなくて」
「遅刻の理由今聞いてないよなぁ?あ?俺は資料が間に合うかって話してんだよ」
 そうなんだ。話の入り方下手ですね……。
 とは言えず。とりあえず課長のへそ辺りを申し訳なさそうに見つめる。心から申し訳ないと思えなくなった辺りから、私は確実にメンタルが変になっていた。こんな荒んだ人間になんてなりたくなかった。でも、荒まないと精神崩壊が先にやってくるだろう。そっちの方がリスクは高い。
「佐藤さんはさぁ、あと一歩が足りないんだよねぇ。あと一歩!スタートラインにも立ててない自覚はある?」
「はぁ……」
「うちもね、佐藤さんに付きっきりって訳にはいかないから。じゃ、資料十二時までによろしくね」
 私の返事すら待たずにどこかへ行く課長の後ろ姿に、心の中で舌打ちを決める。そうして私は今日も夜までみっちりと働くのだ。心をどこかに置き去りにして。
 しがない中小企業に就職して早三年。やっとの事で得た内定はあんなに嬉しかったのに、どうしてこんな事になったんだ。馬鹿みたいに毎日働いて、体力も精神もすり減らして生きている。就活の面接で言った夢や目標なんて、とうに忘れてしまった。毎日ただただ人間としての最低ラインを彷徨っている。せめてもの食べなきゃと買うコンビニのサラダや弁当は、もはや義務のように口に運んでいて、家は寝るだけの場所というよりは簡易仕事場的扱いになっている。
 オーバーワークだなとは思う。先日行った高校時代の仲良しメンツでのオンライン飲み会では、一人がついに結婚して「共働きはきつい~」と笑って話していたのをぼんやり聞いていた。
 かたや企業を立ち上げただの、片やフリーターだの。みんなそれぞれ大なり小なり悩みはあって、その中でもちゃんと生活をしている。「みんな大変だね」なんて言い合って。
 そう、みんな大変。私だけが苦しんでる訳じゃない。それから私の話を聞いたみんなは口々に「辛かったら辞めなよ」「自分を一番大事にね」と言ってくれたけど、正直内心穏やかじゃなかった。
 辞めれるなら辞めてるし、自分を一番大事にしたいに決まってるじゃん。
 何、言ってんだ?この人達。
 あんなに高校時代馬鹿みたいに騒いでたメンツなのに、別言語でも話されてるんじゃないかってくらい、話が理解できなくて。何よりそんな自分が、嫌で。
「うーたんどした、マジで大丈夫?」
「うた、キツかったら精神科とか普通にありだからね」
「なんならうち来てもいいし」
 誰かの声がぐわんぐわんと頭の中を巡る。
 あぁ、いっそだれかトドメを刺してくれ。緩やかな毒じゃなく、バッサリと殺してくれ。
 そうして、楽にしてくれ。

 時刻は二十三時頃。会社近くのファーストフード店で軽くご飯でも食べようと、イートインスペースにぐでんと座っていた。テーブルには、毎度食べてるセットメニューが並んでいる。小さい頃から好きだったからと、今でも大して冒険せずに頼み続けているけど……。今も好きなのかというと、答えはメイビーだ。なんなら選ぶのが面倒だから、が正式な答えだ。
 上手く味もわからなくなってきた。ゴムのような食感に思えてきてウッとなり、お茶で一気に飲み込んだ。
 大きな溜め息をひとつ吐く。携帯を手に取る。文字の羅列。たくさんの配色。目が、チカチカする。
 今から帰ればギリ日付超えた辺りかなぁと頭の中で計算をして、ソースのついた口元を拭った。

「はい、もしもし佐藤です」
「あー、佐藤さん?今日提出してくれた資料なんだけどさぁ。結局あれ通らなかったんだよねぇ。んでさぁ、次のプランが会議である程度まとめられたから、今度そっちお願いする事になったよ。詳しくは今からメールで送るねぇ。じゃ、よろしく」
「え?あっ」
 通話時間二十一秒。通話の切れた携帯を握り締め、立ち尽くす。電車のホームはこの時間だと酔い潰れた人か疲れ果てた人かで地獄絵図だ。
 そして一分後、通知音と共に送られてきたメールは、到底一晩じゃまとめきれない量のもので。しかも、納期が書いてない辺り怖くてたまらない。だけど聞き返したくもないし、もういっそ見たくもない。
 それからもう一度通知音が鳴る。今度は憎い相手からではなく、とある掲示板からのテンプレメールだった。
『あなたのお悩みに五件の解答が届きました!』
 URLに沿ってページを開く。

『質問です。生きる意味がわかりません。毎日仕事がしんどいです。正直一人で出来る量ではないのですが、誰かに助けを求める事も出来ない環境です。最近ついにご飯も味がしなくなってきました。友人には精神科を勧められましたが、行く勇気も時間もありません。どうしたらいいでしょうか』

 そういやこんな質問を掲示板に書いたな。どんな答えをみんなくれるんだろう。

『友人いるなら出直してこいw』
『最初は精神科に行くことはハードルが高いかもしれませんが、心も病気になります。病気は立派な理由です。まずは初診に行かれては?』

 ガタン、と、大きな音をたてて目の前を電車が通過する。その音に思わず前を向いたら、視界がぼやけた。
 やばいな、ついに倒れるのかな。なんて思ったけど、どうやらそのぼやけ具合は体調不良ではなく。
 涙なのだと知ったのは、携帯に水滴が落ちていたからだった。

『勇気は自分にしか出せません。あなたも変わろうとしていないのではありませんか?職場も悪いと思いますが、何も言わないあなたもあなただと私は思います。何かあれば労働相談所とかにでも電話相談したらいいと思います。もっと行動に起こすべき』

 やめてくれ。

『きっぱり今の職場を辞めてみるのも手だと思います』

 やめてくれ!
 思わず強く目を瞑る。遅効性の毒がじわりと首を絞めているような感覚だった。
 お前らに何がわかる。顔も知らないお前に何がわかる!
 手が痺れるほど携帯を握り締める。正直悔しかった。何も分かってくれない周りが憎かった。頼ろうとしている自分も醜かった。
「佐藤さんはさぁ、あと一歩が足りないんだよねぇ。あと一歩!」
 あと一歩。あと一歩。あと一歩。
 あと一歩ってどれくらいの歩幅ですか?そう聞いたらまたゆとりだって怒りますか?でも知らない事は聞かないとわからないじゃないですか。
 今なら踏み出せそうですよ。目の前の黄色い線がスタートラインならば、まだ間に合いますか?
 笑みがこぼれる。久しぶりに笑った。もうすぐ日付が変わる。シンデレラなら魔法が解けちゃうな、と考えてから、そうだった私はシンデレラ役じゃないんだったとまた笑った。