朝焼けの教室で、カノンはスラスラと黒板に文字を書いていた。
「まず、この私立星煌女子學園についてです。ハナビさんは、どこまでこの学校について知っていますか?」
「ええと、ログイン方法くらい……?」
「……なるほど。まぁ、そうですよね。なら順を追って説明しますね」
Dの四班の特別カリキュラム、一人ずつがハナビを指導するというものの初日はカノンが担当だった。初日という事と、カノンとしても座学の方が楽という事で、この空き教室を借りて基礎から教えようという内容になったのだ。
『ホシキラ』
と黒板に書いたカノンは、手についたチョークの粉を何度か手を叩いて払った。
「しりつせいこうじょしがくえん。通称、ホシキラ。この学校に入校するには、たった一つのルートしかありません」
「封筒が届く、ですか……?」
「そうです。封筒が届いた者のみ、そこに書いてあるURLとパスワードを使い、パソコンかスマホでログインし眠ると入校が可能となります。正直、この電脳世界の詳しい事は私も知らないんですが、不思議ですよね、色々と」
カノンが教卓から降りて、ハナビの隣の席に座る。
「こうして私は今、ハナビさんと話してますけど……。これはもしかしたら私が見てる夢で、あなたは私の夢の中だけの存在なのかもしれない。封筒が届いた事すら、夢の出来事なのかもしれない。目が覚めたら、何も覚えてないかもしれない」
朝日の光が入り込み、カノンが目を細める。やがて立ち上がり窓まで歩くと、光を隠すかのように、カーテンを閉めた。
「でも、だとしたら、私は毎日同じ場所に来る夢を見てることになるんです。多分もうすぐ一ヶ月くらい。日付が変わる時間から毎回一時間」
「……私は、本当にこの電脳世界、……ホシキラは存在してると思います」
ハナビの少し困ったような顔を見て、カノンは小さく笑う。それはハナビが見る、カノンの初めての笑顔だった。思ったよりも口角があがる、楽しそうな笑顔だった。
「私もです。それに、これに関しては疑っても時間の無駄でしょうしね。次の話に移りましょうか」
カノンはまた教卓の前に立ち、そこからハナビを見下ろす。
「エトワールになれば、現実世界での約束された未来が保証される、というのはご存知だと思いますが、具体的ななり方についての説明をしますね」
「お願いします……!」
「ないです」
「え?」
思わず身を浮かして乗り出したハナビが、ストンと椅子に座る。カノンは一度持ったチョークを、使うことなく元あった場所に戻した。
「学園長曰く、命を燃やすほどの何かを見せれば、とか何とか。意味わかんないですよね。現に、私たちも何を頑張ればいいのかわかってないとこがあるんですよ。授業内容としては、演技を習ったり、ダンス、歌を習ったり、舞台系なのかな?とは思うんですが」
「イヌビワ先生が、最終日に班全員でエチュードを披露、って言ってましたよね?エチュードって何なんですか?」
「そうですね……。演劇用語じゃないんですか?即興劇、って私は教わりました。場面設定だけを決めて、あとのセリフとか動きとかは自由にやるんです」
「えっ、何それ難しそう……」
「難しいでしょうね。自由にやれって言われても、演劇を知らない身としては何も出来ない」
だから。とカノンが口角を上げる。Dの四班でいる時は気づかなかったが、存外、彼女は笑う人なのかもしれない。
「ホシキラは学校なんですよ。学ぶんです。それにここは電脳世界。現実世界では出来ないことも出来ちゃったりするんです。現に、ここでは私も女子高生ですし……。……あ、えっと、私、現実世界ではもう高校は卒業してる歳なんですよ」
カノンが少し照れたように笑う。そして教卓から下りると、またハナビの隣の席に座った。
「他の方はどうなのか知らないですけど。いいものですよね、学生って。やっぱり特別なものがあるっていうか」
「……」
「ハナビさん?」
コロコロと表情を変えて話すカノンに名前を呼ばれ、ハッとしたハナビが開いていた口を閉ざす。そして伏し目がちにカノンを見ると、今度はカノンがハッとした。
「あっ……。その、すいません、私ばっか話して、なんか、すいません」
「いえ、ちょっとイメージが違ったから……」
「イメージ?」
「勝手なイメージですけど、もっと、大人しいタイプなのかなって、思っちゃってて……」
「あぁ……」
カノンが眉を下げて笑う。
仕方がない、自分はこういう人間なのだ。電脳世界であっても、見た目が高校生になっても、結局中身までは偽れない。残念な人間は、どこまでも残念な人間でしかいられない。
「すいません……。私、集団が苦手なんです。集団でいると、個を消す癖がついちゃってて……。存在感なるべく消したいっていうか……。……目立ちたくないっていうか」
はぁ、とため息を吐いて、カノンは目の前のハナビを真正面から見つめる。人形のような目鼻立ちをしているハナビは、カーテン越しでも入ってくる朝日の光を目いっぱいに受けていた。これが後光か、なんて思いながら、なんとなく居心地が悪くなって足をぶらりと揺らす。それから、なんとなく思った事をポツリと呟く。
「ハナビさんになら、殺されてもいいなぁ」
その言葉は、やけに教室に響いたような、そんな気がした。
確かに聞こえた言葉に、ハナビは動揺した。今、目の前のこの人は、笑みを浮かべながら何を言ったのか。
言葉が出てこないハナビに対し、カノンは変わらず言葉を続ける。柔らかく、暖かく。
「ホシキラに入校するには封筒が届くルートしかありませんが、不思議だと思いませんか?なんで自分が選ばれたんだろうって。本当に現実世界で封筒が来てたんだとしたら、なんで住所知ってるんだとか、普通そこから気にすると思うんですけど。でも、私達はそこに不信感を抱くことなく入校するんです。なぜなら、……そんな意味のわからないものにさえ、縋りたいから」
やめて。そんな風に愛おしそうに話さないで。
「昨日メイさんが言ってましたよね。このホシキラ学園に来てる人間なんて、弱者しかいない。現実世界から逃げた奴しかいないって。ほんと、その通りだと私は思いますよ。……なんていうか、哀れですよね」
そんな優しい目で、笑わないで。
カノンが前を向き、机に突っ伏す。泣いてしまったのかとハナビは立ち上がりアワアワと近寄ると、カノンは大きく息を吸って肩をあげて、それから息を吐きながら顔だけを横に向けた。隣に立つハナビの手元を見ながら、言葉を続ける。
「私は多分、今夜を越えられない」
「え?」
「ナイトレイド、って単語知ってますか?」
「ナイトレイド……?」
「夜襲です。夜を利用して標的を倒すんです。……私はきっと今夜殺される。ホシキラにはもういられない」
「何を言って……」
「どうなるのかまでは、わかんないですけど……。下手に苦しむくらいなら、彼女みたいに存在ごと消えてしまいたいな」
カノンがゆっくり目を瞑る。眠ってしまうかのような空気だった。
「一番星に、なりたかった。なりたいと思えば思うほど、私は、私は……」
ガタリ、と。カノンが大きな音を立てて立ち上がる。
「……ダメですね、こんな私の話はいらないですよね。いつも無駄が多いって怒られてるのにダメだな……すいません。もっと、先の話をしましょう。私達は勝たないといけないんです。彼女を殺した犯人を、必ず見つけ出すんです。そして暴くその役割は、ハナビさん、あなたです」
「私?」
「はい。今日から毎日、ハナビさんはDの四班の人と一対一で話す機会がある。それはかなり大きいです」
「は、はぁ……」
さっきの儚げな雰囲気は何処へ。瞳をギラギラと輝かせたカノンがハナビに詰め寄る。その様子にハナビが思わず一歩後ろに下がると、机に当たってガタガタと大きな音を立てた。
「私はメイさんが怪しいとは思っていますが、正直もう誰が犯人だかわからなくなってきてます。もしかしたら、私が犯人なのかも」
「え……?」
「嘘ですよ。だとしたらとっくに自首してます。それに、私は残念ながら彼女の記憶をほとんど所持していません。一番、関わってなかったからかも」
ただ。とカノンは言葉を続ける。
「彼女と接してきたDの四班の記憶は僅かですがあります。……彼女とよく話していたのはコトノさんで、彼女と全く話していなかったのがツバキさんで、よく喧嘩をしていたのがメイさんでした。これが犯人探しに繋がるかはわかりませんが、念の為覚えておいてください」
「は、はい……」
カノンが窓に近寄り、さっき閉めたカーテンを一気に開ける。すると隠されていた朝日の光がこれでもかと二人のいる教室を照らした。ハナビは眩しさに思わず目を瞑る。光がそのままカノンを連れ去ってしまうような、そんな心地を覚えた。
「カノンさん」
だから、名前を呼んだ。ハナビの声に、カノンが「なんですか?」と答える。表情は、見えない。
「カノンさんは、エトワールになったらどんな未来を望むんですか……?」
「……どんな、未来」
やがて太陽が雲で隠れ、光が遮られる。そうして鮮明に見えたカノンの顔は。
「毎日いっぱい笑ってる、未来!」
これ以上ないくらいの、笑顔だった。
そして次の日、カノンは朝を迎えることなくホシキラから姿を消した。