裏切りなんて、どこにでもあるんだよねぇ。
例えば今目の前にあるこの美味しそうなじゃがいもも、本当は中が腐っているかもしれない。料理してみたら思ったよりも煮崩れしちゃうかもしれない。大袈裟かもしれないけど、これだって立派な裏切りになる。裏切られたと思えば、それは。
他にも、今日は天気予報で雨って言っていたからビビって洗濯物を干さなかったんだけど、実際は雨一つ降らなかった。これだって、れっきとした裏切りだよね。
スーパーのカゴに慣れた手つきでほいほいと野菜や肉を入れて、レジに向かう。もう夜だからか、周りには疲れてそ〜なサラリーマンが多かった。
あぁそう、裏切りといえば、会社の同期にミスを全て擦り付けられたり、とかもあるなぁ。
俺にとって仕事ってのは、生きるための義務。特になりたいものもなかったから、条例とやらに道を決めてもらうのはめちゃくちゃ有難かった。でもさ、いくら道を決めてもらっても、その道中ってのは流石に決めらんない訳でさ。例え仕事先を決めてもらっても、仕事の態度や関わりってのは決めてもらえないんだよ。
現に俺みたいな流されるままに生きてきた人間からしたら、野望みたいなの持ってる人間は恐怖でしかない。最終的に、自分の道から退け!みたいな感じでパンチくらって一発KO。カンカーン。
「おもた〜い……」
ほんと、条例ってつくづく謎なんだよなぁ。どこまで決めたら、世界は幸せになれるんだか。
マイバッグを片手に持ち、もう片方の手で時間を確認する。時刻は、20時12分。家に着くのは、20時25分辺りとみた。歩くスピードを気持ち速めて、やっぱりゆっくりにする。 空はもうすっかり夜で、少し冷え込むなと思った。ふと、一か月前までは外で暮らしてた自分を思い出す。
会社で野望人間に一発KOを喰らった俺は、めんどくせ〜ってそのまま退職した。そこから実家に戻る訳にも行かず、適当なホテルや公園をウロウロする毎日が始まる。実家に頼れれば良かったんだけどね。生憎と俺の親はもういないんだよな。よくわかんない事故に巻き込まれた何だで、存在すらほぼ知らないし。条例は突然の運命とやらに弱すぎる。
結局俺は親の知り合いの家で育つも、やれ娘が進学を拒んだだの、やれお爺ちゃんが病気になっただの、びっくりするくらい居場所はなくて。ま、そりゃそうか、血の繋がった家族じゃないもんな。ってな訳で、条例で上手いこと良い距離の大学を選んでもらった俺は、それを機に一人暮らしデビューを飾ったってとこ。
そっからは本当に独りだった。
寂しくなかったといえば嘘になる。それにどこもかしこも条例条例条例。あのアイドルが条例により突然の転職!?とか、つまらないニュースばっかり取り上げて、なんだか無機質。大学でもなんとなく友達と呼べる人は出来たけど、みんな就職とか結婚とか案外意欲的で馬が合わない。就職しても同じ。同僚や上司の勢いについていけなくて、ずっとはみ出しもの扱い。なんで条例は俺をここに選んだんだ?って頭を抱える毎日だった。
だからさ、一発KOはある意味有難かったんだよな。どうせそうなる事はわかってたし、裏切りって案外客観的に見てるとわかりやすいもんだ。
そう。わかってる裏切りは、意外と痛くない。
そうして出来上がったホームレスな俺は、次の条例とやらが来るまで何にもない時間を過ごす事になる。そして一か月経ってようやくやって来たのは、まさかの結婚状だった。
こんな俺とマッチングしちゃうなんて可哀想〜と思いつつ、帰る家がある有難みには何も変えられず。結構こっちは乗り気だった。相手の女の子もサバサバ?してそうだし、仕事好きだから専業主婦無理ですって言われた時、ラッキー!って思ったし。仕事しなくていいなら、家事やってれば家があるなら、任せてよって感じだ。
でもさ、やっぱりダメなんだよ。野望人間にとって俺は、一発KOしたい相手な訳。俺が良くても、きっと向こうは良くないんだよ。彼女の部屋を掃除した時に見つけた離婚届を見て、やっぱりなぁって俺は諦めざるを得なかった。
なのに彼女はどれだけ経っても離婚届を出してこない。見つけた次の日には突き出されるのかもとか思ってたのに、普通に接してくる。裏切るなら早めにどうぞと覚悟を決めていただけあって、拍子抜けした。
そして俺は暮らしてくうちに、少しずつ色んな事を知っていく。
・彼女はシチューが好き
・お花も好き(家にたまたま飾ってたらちょっと見てた)
・仕事の事好きって言う割に、愚痴が多い
「あとは、そうだなぁ、嘘をつくのが下手なんだよなぁ」
彼女の言う通り、俺たち夫婦の間に恋だの愛だのそういうのはなく、本当にただの同居だ。条例が決めた結婚という名の同居。でもやっぱり遺伝子とか統計学もすごいんじゃない?とは思う。少なくとも俺は、この生活が楽で仕方ないから。それに、そうだ、俺はこれも初めて知ったんだ。
野望人間だって、挫ける事があるんだって。
失礼かもしれないけど、ほんとびっくりしたんだよ。俺にとって別人種っていうか、流れに流されるどころか乗ろうとする人達って、失敗や孤独から程遠いんじゃないかって。勝手にそう思い込んでたから、彼女が怒鳴る姿を見て驚いた。きっと結婚しなかったら、知る事はなかった。知らなくてごめんって、思った。今更知って、ごめんねって。
条例があろうが、人間の心の奥までは決められないんだ。どんな状況下に置かれても、その道の上から見る景色は自分で変えられる。下や横ばかり見てた俺じゃ、わからなかった。前を向けば、上を向けば、綺麗な景色が見えるかもしれない。そしてその景色を見続ける為には、歩く努力をしないといけない。
「ただいま〜」
家に帰るとパタパタとこちらに来る彼女の足音がする。俺は満足気にマイバッグを自分の顔の前に出して、ださい効果音を放った。
「ででーん、今晩は急遽シチューにしました」
そうしてマイバッグを下ろすと、目の前にはキョトンとした彼女。その顔は初めて見たなぁと思いつつ、俺はキッチンへと向かった。
「あ、あの……」
おずおずと俺の後を追いながら話しかけてくる彼女にどうしたのと首を傾げたら、視線を逸らされて。
……あぁ、なるほどね。
「シチュー、好きだったよね?」
「え、いや……」
「シチューの時だけおかわりしてなかった?」
「……まぁ、そうだけど」
「嫌な事とか悲しい事があった時にはさ、好きなものいっぱい食べるのが一番だよ」
結婚は人生の墓場でも何でもなく、ただの義務。それに条例によって定められた結婚は幸せが科学的に保証されていて、そこに愛があるかないかは関係ない。
うん。愛の有無はどうでもいい、これは義務。俺は、彼女に幸せをあげるんだ。それが俺の楽な人生の為の、努力。
だから彼女の今回の言い分は聞けない。また家がなくなるのは困るし、新しい環境に身を置くのはめんどくさいんだよ。思い通りにならなくてごめんね。あ、もしかして、これは裏切りに近いのかな。
まさか俺が、裏切る側になるなんてね。
「……話が」
そう言いながら、キッチンに立つ俺の隣にやって来た彼女の口に、じゃがいもを軽くつける。目を見開いた彼女は、慌てて一歩退き口を拭った。
「大丈夫、このじゃがいもは腐ってないよ」
神に誓うさ。
イエスタデイ・マリッジ