まず第一に伝えておきたいのは、結婚は人生の墓場でも何でもなく、ただの義務であるということだ。
そして条例により定められた結婚は幸せが科学的に保証されており、そこに愛があるかないかは関係ないものとする。
以下、私の人生を書く。
・幼少期の夢は「花屋さん」
・中学時代、親が条例による転勤を命じられ、県を越えた引越しをする。
・高校時代、初めての好きな人が出来る。
・初めて好きになった人の高校卒業後の進路が海外に設定されたと聞き、失恋をする。
・家から近い大学に進学をする。
・高校時代のクラスメイトが結婚状を無視したことにより政府に連れていかれたと知る。
・途中、単位が足りずに大学を中退しそうになるが、親からの懇願により何とか無事卒業を果たす。
・条例に定められた会社に就職する。
・やはり定められただけあり、私に合っていると感じる。毎日が楽しい。
・仕事が評価され出世を果たす。大きなプロジェクトを任され始め、尚更やり甲斐のある毎日になる。
・28歳の誕生日を迎えた日、結婚状が家に届く。
・仕事に生きると考えていた為、あまりのショックに次の日寝込む。
・さらにその次の日には顔合わせを済ませ、そのまた次の日には簡易的な結婚式を行う。
・旦那は同い年の男性。顔は好みで言うと中の中。
・彼は仕事を先月辞め、専業主夫として家事全般を担ってくれている。
・基本性格は恐らく怠惰な人だと思う。よく床に転がっている。
・ゆるキャラに近い何かを感じる。
・私が帰ってきた時、「おかえり〜」とやってくる所は可愛い。
・けど、好きかと言わればわからない。ただの同居人な気がする。
・家事はサボらないが、それ以外の時はぼんやり床でゴロゴロしてるのはなんとなくやめて欲しい。
・同僚に結婚生活はどうか?と聞かれたが、特にどうとでもないと答えた。
・新婚なんだから……と沢山の人に言われても、望んだ結婚ではないのだから雰囲気もあったもんじゃない。
・学校や会社に行くのと同じ感覚。
・複雑な感情はずっと根底にあった。
・担当していたプロジェクトの解散が決定された。思うように伸びなかったのが原因。
・プロジェクトリーダーとして責任を問われるかと思えば、そうでもなかった。
・「次頑張ろ」と社長に言われる。
・なんてことない励ましが私の胸に傷をつけた。
・次に目を向けないといけないのはわかっているのに、上手く気持ちを持っていけない。
・家に帰るといつも通り気の抜けた「おかえり〜」が聞こえた。
・ここだけは変わらない唯一の場所なのかもしれない。
・だけど、どうしようもなくマイナスに走ったメンタルのせいで、思わず怒鳴ってしまった。
・家事しかやる事がなくてさぞかし楽でしょう
・こっちはたくさんの人と関わって毎日大変なのに
・私があなたの分まで稼いでるのに
・その能天気さに腹立つ
・楽な人生でいいね
・そんな言葉の暴力とも取れる私の叫びを、彼は静かにこちらを見ながら聞いていた。
・傷ついてるのか傷ついていないのかわかりにくい表情に、更にイライラが増していく。
・こんなこと言いたいわけじゃないのに、止まらない。
・しまいには一番言ってはいけない事を言った。
・結婚なんてしたくなかった
・そこで初めて彼が少し目を伏せた。
・言ってしまったと思ったが、引き返せない。
・義務で結婚なんてこの世界はおかしい
・そんな結婚に愛なんて生まれるわけがない
・相性なんて遺伝子や統計学だけでわかるわけがない
・実際に会って、話して、それでわかるのに
・私たちがいい例じゃない
・ただの同居に恋も愛もあったもんじゃない
・勢いで全てを言い切ると、私は肩で息をした。
・しばらく訪れる静寂。
・彼は私を見ると眉を下げて笑った。
・「ごめん」
・謝るのは私の方なのに、あれだけさっきまで叫んでいたのに、何も声が出なかった。
・もう一度「ごめんね」と言われ、初めて抱き締められた。
・結婚して一ヶ月、初めて抱き締められた。
・温かい、暖かい。
・涙が止まらなかった。
・抱き締め返す事は出来なかった。
・しばらくして離れると、彼が無言で家を出る。
・こんな私に嫌気が差したのかもしれない。
・そもそも私との結婚生活を彼はどう思っていたんだろう。
・彼だって嫌だったかもしれない。
・働きたかったのかもしれない。
・私が仕事が好きだから専業主婦にはなれないと最初に告げた。
・そしたら彼は自分が専業主夫になるよと言った。
・思えば私は彼の事を何も知らない。
・私の方はよく夕食の時に会社の事やら愚痴っていたけど、彼の愚痴は聞いたことがなかった。
・どうだったんだろう。
・まぁ、潮時だろう
・私はずっと自分の部屋に隠していた離婚届を取り出して、自分の欄に必要事項を書いていった。
・現在条例で決められた結婚の離婚は少し手順が多い。
・離婚届とはまた別に、近くの役所で色んな書類を書かなきゃいけない。
・それが面倒で離婚をしない夫婦もいる。
・また、離婚してもしばらくして結婚状が届けば違う人と結婚しなければならない。
・ようは抗えない。
・幸せになるまで、または受け入れるまで、何度も、何度も、私達はレールの上に戻される。
・面倒だけど、それでも仕方ない。
・私は解放されたい。
・実は結婚をした次の日には離婚届を貰っていた。
・遅かれ早かれ、時が来たら離婚はしようと思っていた。
・それをずっとずっと黙っていた。
・「結婚してよかった」なんて結婚式の次の日、二人で初めて食卓を囲んだ時に言った。
・嘘をついていたのだ。
・これは裏切りだ
・私なんかに振り回された彼に、少しだけ同情してしまう。
・彼は私と離婚した後、どんな人生を歩むのかな。
・次こそは幸せになるといい。
・きっとあの人なら大丈夫。
・私は?
・この後、私は仕事も結婚もダメで、どうするの?
・愛も、幸せも、どこにあるの?
・私は何の為に生きてたっけ?
・とりあえずお腹すいたしってキッチンに立ってみても、結婚を機に実家を出て、家事とは無縁だったから何も作れない。
・本当に何も出来無いし何も無いんだな、自分は。
・条例ができたからってより良い世界になるわけが無い。
・頼って縋って得られるものは限りなく少ない。
・結局人はどれだけレールを敷かれたって、最後は自分自身の足で前に進まないといけない。
・進めない人間は後ろから来る列車に轢かれておさらばだ。
・そう、私みたいに。
・それならせめて、せめて。
・ガチャリと玄関のドアが開く音がする。
・それに続いて「ただいま〜」という呑気な彼の声。
・いつもとは逆だね、と思いながら私は離婚届を二つ折りにして握り締めた。
・最後の最後にキスのひとつでもしてやろうか。
・背中に剣という名の離婚届を隠して。