公明党結党56年を迎えた今日11月17日。


党創立者をはじめ、献身的に支えてくださっている党員、支持者、創価学会員の皆様、広範な国民の皆様からお力をいただき、「大衆福祉の公明党」「日本の柱公明党」として、「大衆とともに」との立党精神を胸に、私も働かせていただいております。

#公明新聞 の記者を経て、昭和54年4月22日に #公明党 の品川区議会議員として、6期24年間、仕事をさせていただいた父も、今年7月22日に77歳で霊山へと旅立ちました。

父が生前、「最も苦境にあったとき」と言っていた、1966年の9月21日に人生の師匠から頂いた指針には、公明党の綱領にもある「 #地球民族主義 」と同義の言葉とともに、そこが、未来の人類が帰着するところとして、「その先駆の旗頭として、共に勇敢に挑戦してゆこうよ」とありました。

先日、雑誌・ #第三文明 の1966年7月号に「大学レポート」として、#福岡大学 4年生の父の記事を見つけました。


父を早くに亡くし、経済的にも苦境にあった父が、大学の卒業もあきらめざるを得ないかと苦しんでいるときに、師匠から「先駆の旗頭」としての使命をいただき、苦境を打開でき、奇しくも今、父子で公明党の地方議員として使命をいただいています。

私も今、様々な苦境の真っただ中ではありますが、結党記念日にあたり、公明党の一地方議員として、大衆福祉の施策の結果を出す「先駆の旗頭」として「勇敢に挑戦」して使命を全うする決意を新たにしました。

ちなみに、同雑誌内に、私が #創価大学 で大変お世話になった #北政己 教授(当時は、「和歌山・学生」とありました)の記事も掲載されていました。

#つる伸一郎