凄く考えさせられたことがある。
「日本が好きだ」ということと「政治に関わる」と言うことは全く別問題なんだろうな、と言うこと。
恐らく、去年の参院選から政治に興味持った人は多いだろうなと思っている。
私もその一人だ。
そこで、最近一番と言っていいほど、話題に挙げられるのが移民問題だと思う。
これは今は恐らく世界中で起こっている問題だろう。
その中で、しばらく動向を見ていた人がいる。
今、SNSでも話題になっているだろうフィフィさんと河合さん、細川バレンタインさんの件だ。
私は元々フィフィさん経由で河合さんを知ったと言うこともあって、フィフィさんの動画を昔のチャンネル時代から観ていたし、なるほどなと思うことも多かった。
一方で、勿論、これは違うのでは?と思うこともありつつ見ており、それは先程あげた、他の二人の主張も同じだ。
そこで、今何が問題になっているかと言えば、彼ら3人がそれぞれの考え方で揉めているわけだが、その背景に関してはここで説明したらとんでもないことになるので言わないが、自分の中で一番考えさせられた問題があって、それは端的に言うと、
「外国人の血の入った人間が、政治を語るな」
と言う河合氏の考えだ。
当然、これに対して、冒頭のハーフである細川氏、外国人でありながら日本へと帰化をしたフィフィさんがブチギレている。
同時に、世間の人間の大半もそこに対して反発している人が大半のようで、河合氏を支持していた人すら、「それは違うだろ」と言うように反発をしている。
正直私も、最初彼のYouTube動画の中での発言を聞いた時は「流石にそれは排外主義と言われても仕方ないだろ…」と思ったし、海外の人に日本を好きになってもらいたい、外国人との結婚だったりと言うことにも何の抵抗もない自分としても、いくらなんでも暴論では…と思った。
更に、細川氏は別として、河合氏とフィフィさんが仲良くしていた時を見ていた後の、現状の決別の流れを見ていたこともあって、お互い様だなと思っていた一方で、最近の河合氏の発言はあまりにも暴論、極端すぎるなと感じていたため、もう見るのも辞めようか…と思い始めていた。
そんな中で、直近で上げていた彼の演説の内容を聞いて、はっとしたことがあった。
今、世界中で移民が増え、混血の人も増えていく中で、今後、日本でも混血の人々が増えていく、という事実は恐らく変えられないとは思う。
その一方で、そう言う状況が広がることで日本が日本では無くなっていく…それを私も含め、多くの人が嘆いているのだと思うが、その中で河合氏が言っていたのが「自国の総理大臣や天皇家に、外国人の血が入った人間が成り変わったら、果たしてそれは日本と言えるのか?」と言うこと。
それを聞いて思った。
確かにそれは違和感がある、と思ってしまった。
政治に関して、当然外国人由来の血縁の人が意見するのはやっぱり問題があるとは思わない。
ただ、トップに立つ人に、例えば現在反日をしている中国や韓国人の混血の人が立つのは、やはり嫌だと感じている自分がいるのだ。
例え、その人に愛国心があると言われても。
同時に、現在、移民の立場でカナダに住んでいる自分のこととしても考えたのだが、そもそも外国人である自分が、他国の政治に関わりたいと言う思考がないことに気づいた。
それは自分のアイデンティティはあくまでも「日本」にあって、カナダを変えたいと言うような思考がないから。
恐らくそれは、自分がカナダではない、他の国に住んだとしても変わらない。
その国の意向に従い、その国のことは、その国の国民が決めるべき。そう思っている。
それを考えると、やっぱり日本は、日本を愛す、純日本人に統治してもらいたいと言うのが本音だなと思った。
ただ、私はハーフなわけではないので、外国の血が入った人の気持ちは当然わからない。
もしも私が今後、日本ではない国にルーツを持つ人との間に生まれた子どもを持ったとして、その子が果たしてどう感じるかはわからない。
ただ、自分としてはその子に日本の政治に携わって欲しいかと言われたら、恐らく「NO」だ。
自分がどう言う方向性の日本がいいのかと考えることは必要だと思うし、発言そのものを規制するのは当然に意義を唱えるけれど、最終的に方向性を決めるハンドルを握るのは、やはり純日本人と言われる人であるべきと感じる。
と言うかそうであってほしい。
勿論、突き詰めれば完全な「日本人」と言う人はいないとも言われてるし、そこを問い詰められたら反論はできないが、それでも何代にも続いて日本人をルーツに持つ人に日本を統治して欲しいと思う。
確かに、河合氏の考えに全て賛同、支持をする、とはいえないけれど、やはり「政治」と言う面で考えると、彼の極論的な考え方にも腑に落ちるものがあるのは事実だと感じた。
ただ、残念なことに、周りにハーフや混血の知人友人、外国人の友人などが当たり前にいる世の中で、この考えを大っぴらに発言し、理解してもらうのはかなり難しいのも事実だろう。
その一方で、根底に私のような思考を持っているはずなのに、そこに気付けない、環境故に認めることに抵抗感がある人はかなり多いだろうし、それこそ河合氏が言うように、「数年後に気づく」と言うことになるのかもしれない。
改めて、「政治」と言うものを考える上での難しさを感じたと同時に、こう言う曖昧な人の生活環境が、政治に介入する難しさを示しているんだろうなと思った。
全てにおいて賛同できることを発言するなんてことは、恐らく不可能なんだろうな…