第70回 代表曲と売れた曲は一致するのか
近藤真彦
ついにマッチです。とにかくデビューと同時に大人気になって、男の私でも新曲は常にチェックし、歌詞も暗記して歌っていましたし、時には振り付けを憶えて、学校で披露したりと、中学生にとっては時代をときめくスターでした。多くのヒット曲が誕生し、その中から代表曲的な作品もいくつかあるでしょうから、今回はマッチのシングル曲のセールス推移を見てみます。
【青春路線でデビューと同時に人気絶頂】 1980~1981年
「スニーカーぶる~す」「ヨコハマ・チーク」「ブルージーンズメモリー」
「ギンギラギンにさりげなく」
たのきん主演の映画の主題歌にもなったデビュー曲「スニーカーぶる~す」がいきなりのミリオンヒット、3rdシングル「ブルージーンズメモリー」の映画主題歌となり、セリフの箇所♪さよならなんていえないよ バカヤロー が話題に。さらに年末には「ギンギラギンにさりげなく」がロングヒットと、まさにマッチの人気が絶頂の一年でした。楽曲的にもカッコいいと思わせるテンポの良い楽曲が続き、映画との相乗効果もあって、まさに青春スターといった感じでした。
【ソフト&コミカル路線に転換】 1982年
「情熱☆熱風☽せれなーで」「ふられてBANZAI」
「ハイティーン・ブギ」「ホレたぜ!乾杯」
7thシングル「ハイティーン・ブギ」は映画の主題歌ということで、従来のカッコいい系の青春路線の曲になりましたが、それ以外の3曲はややソフトでコミカルな方向へ舵がとられた一年でした。「情熱☆熱風☽せれなーで」はそれまでの曲調からがらりと変わり、聴いている側も多少戸惑いましたし、「ふられてBANZAI」「ホレたぜ!乾杯」とセットになるような2曲は、カッコいいからは離れた砕けた作品になり、好き嫌いは別として、親しみやすい方向を目指した感はありました。
【やや大人の感じも混ぜつつも青春路線に回帰】 1983年
「ミッドナイト・ステーション」「真夏の一秒」「ためいきロ・カ・ビ・リ・ー」
「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」
前年の砕けた路線から、再び従来の青春路線に、若干の大人っぽさを入れ込んだ楽曲に戻ったのがこの年。セールスでは3rdシングル以降のオリコン1位を継続し、安定した売上となっています。
【再びコミカル路線へ】 1984~1985年
「一番野郎」「ケジメなさい」「永遠に秘密さ」「ヨイショ!」
そんな1位を続けている状況にかけたような「一番野郎」をリリース。タイトルだけ聞くと、ちょっとふざけた印象もあったこの曲ですが、さらに「ケジメなさい」「ヨイショ!」と、この時期は再びタイトルがキャッチーなコミカル路線へと揺り戻しがありました。そんな中「ハイティーン・ブギ」以来の山下達郎作曲となる「永遠に秘密さ」が異彩を放ちました。
【落ち着いた大人の歌への挑戦も連続1位は途切れる】 1985~1986年
「夢絆」「大将」「純情物語」「青春」「Baby Rose」
連続1位は「ヨイショ!」で途切れてしまいますが、楽曲の方は落ち着いた大人の歌へと転じてきます。まず「夢絆」はそれまでにないじっくりと聴かせる作品で、最初に聴いた時にオッと思わせるインパクトがありました。「大将」「純情物語」「青春」と渋めの曲が続き、そして「Baby Rose」は当時〈今度のマッチの新曲カッコいいぞ〉と私の周囲でも評判になったものです。ただ売上としてはついに10万枚を切るようになり、マッチ厳しいかというところも正直なところありましたね。
【日本の歌謡曲テイストが軸に】 1987~1989年
「愚か者」「さすらい」「泣いてみりゃいいじゃん」
「Made in Japan」「あぁ、グッと」「夕焼けの歌」
低迷していた売上でしたが、萩原健一との競作にもなった「愚か者」のヒットで持ち直し、「泣いてみりゃいいじゃん」は久しぶりかつ最後のオリコン1位を獲得しました。この時期の楽曲はどちらかというと懐かしさを感じるような日本の歌謡曲という感じで、演歌の中に混ざっても違和感のないような曲が続いた印象です。アイドルから大人の歌手へと変わっていかなければという意図もあったのでしょうか。
【いろいろなタイプの作品に挑戦もセールスは下降】 1989~1990年
「Just For You」「いいかげん」「アンダルシアに憧れて」
「気ままにWALKIN’」「Ho Ho Ho…」「好き」
「Just For You」ではとうとうオリコンのトップ10から陥落し、いよいよアイドル近藤真彦の人気もここまでかという感じになってきたのがこの時期。「アンダルシアに憧れて」はカバー曲ではありましたが、まるで映画のストーリーのような楽曲の力もあって、トップ10に返り咲きましたが、そのあとは苦しかったですね。
【低迷からの復活】 1991~1998年
「デスペラード」「無頼派」「北街角」「ミッドナイト・シャッフル」など
1990年代に入ると、ヒット戦線からはますます遠ざかり、マッチもここまでかという感は多分にあったのですが、ところが1996年に起死回生の一発「ミッドナイト・シャッフル」が放たれ、これが復活の大ヒットとなったのです。音楽業界の環境も手伝って、全盛期なみの売上枚数となって、まさに近藤真彦ここにあり、といった一曲になりました。
【シンガーとして】 2002年~
2000年代以降は毎年毎年新曲というわけにはいかないものの、継続して歌手活動も続けています。
■売上枚数 ベスト5
1 スニーカーぶる~す 104.7万枚
2 ギンギラギンにさりげなく 81.6万枚
3 ミッドナイト・シャッフル 70.2万枚
4 ハイティーン・ブギ 60.7万枚
5 ブルージーンズメモリー 59.6万枚
デビュー曲「スニーカーぶる~す」でいきなりミリオンセラーを達成し、これが結局キャリアハイでした。デビュー前から人気を呼び、満を持してのデビューという形は、旧ジャニーズ勢にはよくあるパターンではありますが、そこから15、6年後の「ミッドナイト・シャッフル」が3位に入っているというのも凄いことです。また「スニーカーぶる~す」「ハイティーン・ブギ」「ブルージーンズメモリー」とたのきん映画の主題歌が3曲も上位5曲に入っており、映画との相乗効果の力も感じさせるランクになりました。
■最高順位
1位 … スニーカーぶる~す、ブルージーンズメモリー、ギンギラギンにさりげなく、
情熱☆熱風☽せれなーで、ふられてBANZAI、ハイティーン・ブギ、
ホレたぜ!乾杯、ミッドナイト・ステーション、真夏の一秒、
ためいきロ・カ・ビ・リー、ロイヤル・ストレート・フラッシュ、一番野郎、
ケジメなさい、永遠に秘密さ、ヨイショ!、泣いてみりゃいいじゃん 計16曲
出せば1位という時代が長く続きましたので、16曲も1位があります。1位を確実に確保するという点では、田原俊彦よりも近藤真彦の方が強かったですね。
■代表曲
1 ギンギラギンにさりげなく
2 スニーカーぶる~す
3 ハイティーン・ブギ
4 愚か者
5 ミッドナイト・シャッフル
多少順番に迷うところはありますが、おそらくこんな感じになるのではないでしょうか。それぞれの時期でポイントとなる代表曲が生まれたというのは、長く活躍する上でのマッチの強みではなかったでしょうか。
■好きな曲 ベスト10
1 ブルージーンズメモリー
2 Baby Rose
3 スニーカーぶる~す
4 夢絆
5 情熱☆熱風☽せれなーで
6 アンダルシアに憧れて
7 真夏の一秒
8 永遠に秘密さ
9 ヨコハマ・チーク
10 ロイヤル・ストレート・フラッシュ
5曲では足りなかったので、10曲まで上げてみました。「ブルージーンズメモリー」はよくセリフの部分とか、曲が終るところを真似していました。「スニーカーぶる~す」は間違いなく名曲ですね。「Baby Rose」
「夢絆」の大人のマッチもかっこよかったです。「情熱☆熱風☽せれなーで」は後になってじわじわと好きになった曲です。
代表として挙げた5曲のうち、「愚か者」を除く4曲は売上上位5曲に入っていますから、概ね売れた曲が代表曲になっているようには思います。「愚か者」に関しては、業界的に売れなかった時期というのと、マッチ自体のセールスが下降し、平均ベースが低かった時期ということで、枚数的にはさほど多くはないというところでしょう。
結論:概ね売れた曲が代表曲になっているが、一部例外もある