第3回 代表曲と売れた曲は一致するのか

 

安全地帯

 

突如すい星のように現れるとそこからヒットを連発。80年代の半ばを代表するバンドですが、前面に出るのはほぼ玉置浩二のみで、一見ワンマンバンドにも見えたりもしましたが、実は控えめながら実力者揃いなんですよね。

 

 

【無名時代】 1982年~1983年

「萌黄色のスナップ」「オン・マイ・ウェイ」「ラスベガス・タイフーン」

オリコンチャートのトップ10位圏外で、私もまったく知らなかったし、おそらく世の中の多くの人が名前を知らない時期だったと思います。

 

【突然大ブレイク】 1983年~1984年

「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」「マスカレード」「恋の予感」

それが突如「ワインレッドの心」が大ヒットし、2曲挟んで「恋の予感」がまたまた大ヒットで、一発屋ではない実力派バンドの地位を確固たるものにしました。当時の安全地帯はスタイリッシュなファッションで、ボーカルの玉置浩二は当時としてはメイクもビシッと決めている一方で、楽曲は歌謡曲のエッセンスも取り込んだ一般の人になじみやすい楽曲を繰り出していました。そんなことで老若男女幅広く受け入れられた感がありました。 

 

【ヒット曲量産】 1985年~1987年

「熱視線」「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」「プルシアンブルーの肖像」「Friend」

「好きさ」「じれったい」 

出す曲出す曲トップ10入りし、10万枚以上を売り上げていた時期です。タイプの異なる作品を送り出すことで、聴いているものを飽きさせない展開を作り出し、トップバンドとして君臨しました。映画「プルシアンブルーの肖像」では玉置浩二が映画の世界にも足を踏み入れ、俳優業もたびたび取り組むようになります。

 

【売上下降から活動休止へ】1987年~1988年

「Juliet」「月に濡れたふたり」「I Love Youからはじめよう」「微笑みに乾杯」

音楽界自体がアナログレコードからCDへの移行期になったのもあり、売上が徐々に下降していきます。セールスは10万枚を割り込み、トップ10からもはみ出すことも見受けられるようになると、マンネリ感を覚えるようにもなってきました。そしてそのタイミングで活動休止。ヒットチャートの一線で活躍する時代はここで終わりとなりました。

 

【復活と休止を繰り返しながら次のステージへ】 1990年~

「情熱」「いつも君のそばに」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」 …

その後は復活と休止を繰り返しながらも、現在に至るのですが、かつてのようにヒットチャートの上位に顔を出すことはなくなり、ヒットメイカーとしての役割を終え次のステージを歩んでいるのが今というところでしょう。

 

 

■売上枚数 ベスト5   

1 ワインレッドの心 71.4万枚 

2 悲しみにさよなら 44.3万枚 

3 恋の予感 43.6万枚

4 碧い瞳のエリス 38.8万枚 

5 熱視線 32.4万枚

圧倒的な楽曲の良さで売れた「ワインレッドの心」がトップセールス。その後はアーティストとしての名前の力が加わり、7~10thあたりが売上のピークとなりました。

 

■最高順位 

1位 … ワインレッドの心、 悲しみにさよなら

2位 … 熱視線 、碧い瞳のエリス、プルシアンブルーの肖像、じれったい

1位が2曲、2位が4曲と、シングルチャート最上位の常連と言った感じでした。ちなみに売上3位の「恋の予感」の週間最高は3位でした。

 

■代表曲

1 ワインレッドの心

2 悲しみにさよなら

3 恋の予感

4 じれったい

 「ワインレッドの心」が不動の1位で、2位と3位も微差ですがセールス順になるでしょうか。セールスと代表曲の乖離が少ないアーティストといえるでしょう。

 

■好きな曲 ベスト5

1 Friend

2 真夜中すぎの恋

3 月に濡れたふたり

4 ワインレッドの心 

5 I Love Youからはじめよう

切なさが心に染み入るように響いてくる「Friend」が好きですし、それとはまた違ってキャッチーな「真夜中すぎの恋」も好きです。一般的なセールスとはちょっと違った感じになりましたが、代表曲以外のところで私好みの作品が結構あります。

 

「ワインレッドの心」「恋の予感」「悲しみにさよなら」と代表的な作品はいずれもセールスと連動しています。

結論:代表曲と売れた曲は一致しているといえる。