80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.351

 

夢見るSeason  伊藤つかさ

作詞 原由子

作曲 原由子

編曲 松井忠重

発売 1982年2月

 

 

伊藤つかさの不安げな歌唱に原由子の作り出す乙女チックな世界がぴったりはまった、春らしい3rdシングル

 

 自分が子供のころ、テレビの中で活躍するアイドルのお姉さんたちは、当然ですが、みんなずっと年上のお姉さんたちでした。そして自分が1年1年と年を取っていくにしたがって、新しくデビューするアイドルのお姉さんとの年齢差は縮まっていくわけですが、それでもやっぱり小学生から見れば、高校生や若くても中学生の年の頃のお姉さんでした。しかしながら、アイドルちゃんたちが初めていよいよ自分の年齢に近づいてきたなと感じる時が来るわけで、それが伊藤つかさのデビューでした。

 

 伊藤つかさのデビューは1981年9月、デビュー曲は『少女人形』。当時彼女は14歳の中学3年生。そして私は中学2年生。学校の1年先輩がアイドル歌手としてデビューするような、そんな年齢になったことを感じると同時に、次にデビューするのはとうとう同い年の子が出てくるのかと、気持ちの上で一つの転換点となったような気がします。ずっと年上のお姉さんから、年の近い可愛い女の子へ。これは例えば高校野球に出ている選手が年上から年下に変わっていったりしたのと似たような感じかもしれません。

 

 さて伊藤つかさですが、歌手デビュー前にすでにテレビドラマ「3年B組金八先生」に出演し、あの可愛い子は誰だ、今回金八先生からデビューするのはきっと彼女だと、話題になっていました。ですから歌手デビューはある意味既定路線でして、デビュー曲『少女人形』はオリコン最高5位、売上36.2万枚といういきなりの大ヒットになったわけです。ただ当時の伊藤つかさの印象はあまりにも儚いイメージで、元気いっぱい溌剌といったところからは対象的な位置にいるアイドルでした。お世辞にも歌は上手とは言えず、むしろ聴いていて心配になってしまいそうな感じで、振り付けもほとんどなく大人しく歌っている印象。しかも14歳ということで、ファンからすると、オレが守ってあげなければ壊れちゃうのではないかとさえおもわせる儚さがあり、それこそが伊藤つかさの魅力だったのでしょうね。

 

 ただ勢いという点では、このデビュー直後がピークでして、2nd『夕暮れ物語』はオリコン9位、売上20.4万枚、そして今回取り上げた『夢見るSeason』はオリコン11位、売上14.1万枚と、少しずつセールスは低下していったのです。ただ個人的にはこの『夢見るSeason』は前2作よりも明るさが表現されていて、伊藤つかさの曲の中では一番好きな歌なのです。作詞、作曲は原由子。自身の曲も旦那さんである桑田佳祐の曲を歌うことも多い原由子なので、他のアーティストへの提供はそれほど多くありません。チャート上位曲では、斉藤由貴『「さよなら」』(作曲)、広末涼子『風のプリズム』(作詞・作曲)ぐらいでしょうか。いずれも原由子らしい優しくてほんわかした味わいの曲になっています。そして伊藤つかさの『夢見るSeason』もまさにそんな曲です。

 

 恋を夢見る女の子の想いを歌詞にした作品ですが、これが当時の伊藤つかさにはまさにぴったり。前2作が悲しげなメロディーの作品だったのに対し、この曲は彼女の明るい部分も引き出せてもいて、これから迎える春にも相応しい楽曲になっています。

《春がくればきっとめぐりあえるはずよ》

《目と目が合ったなら すぐに気づくはずよ そんな予感がするこの頃》

《たとえば好きな人に誘われたら 二人で過ごすときは恋の気分で》

《恋が芽ばえたら 素敵なSeason》

とワンコーラス目はまさに恋に恋する乙女ちゃん的な妄想で埋められています。

これが2コーラス目になると、すこし具体性も出てきます。

《いつも帰り道ですれちがうあの人 少しはにかんだ笑い顔が 心にやきついて忘れられないから》

《二人で追いかけたら恋の始まり 少しだけ大人のふりで》

とまあ、まだまだお近づきにもなれていないようですが、そんな様子がまた可愛らしく表現されていますね。

 

 という具合に、とっても可愛らしい歌でして、またチャートのトップ10に入るような感じになるのかなと思っていましたが、結果として11位どまり。いい歌だったのですが、いまいち売れなかったのは、既に伊藤つかさ自身のアーティストパワーが下降線に入っていたのでしょうね。この後もシングルを発売するごとに順位を落としていくことになります。つまりは、伊藤つかさのアイドルとしての全盛期は実に1年足らずという短さで終わってしまったのです。伊藤つかさのデビューは1981年、そして翌1982年には82年組と言われる強力な女性アイドル面々がデビューした年でもあり、結果として後発の彼女たちに持っていかれてしまったということでしょう。

 

 その後は舞台やドラマなどで芸能の仕事を続けてはいるのですが、あまり目立った活動にはなっていなくて、一番話題になったのが、ヌードを披露したとき。正直、あまり見たくなかったというのはありますね。