80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.341

 

秋からのSummer Time  仁藤優子

作詞 麻生圭子

作曲 中崎英也

編曲 若草恵

発売 1987年9月

 

 

早い時期に喉をこわして歌手としては短命に終わった悲運のアイドルの、唯一のヒットチャートトップ10入りを果たした2ndシングル

 

 仁藤優子は1987年6月『おこりんぼの人魚』で歌手デビューを果たします。アイドル界の状況としては、前年までヒットチャートを席巻していたおニャン子は解散直前、いわゆる四天王と呼ばれる南野陽子、中山美穂、浅香唯、工藤静香の4人が安定した人気を誇っていました。女性アイドルがソロでデビューするのが主流であった最後の時代になるかと思います。同年デビューのライバルとしては酒井法子、立花理佐、中村由真、畠田理恵、森高千里、美少女ブームに乗っての小川範子、後藤久美子などが主だったところで、賞レースという点では立花理佐がリードし、続いて酒井法子といった感じではなかったでしょうか。そんな中で『おこりんぼの人魚』はオリコン最高13位、売上4.6万枚と、アナログレコードからCDへの移行期で売上が低迷していた時期としては、まずまずのスタートを切ったのでした。

 

 デビュー当時の仁藤優子は日に焼けたような肌で健康的な印象を与え、伸びのある歌声が魅力的なちゃんと歌も歌えるアイドルさんでした。デビュー曲の順調な結果を受けて、さらにステップアップを目指してリリースされた2ndシングルが『秋からのSummer Time』でしたが、この曲はオリコン最高10位とトップ10入りを果たし、仁藤優子の人気はさらに広がっていったのでした。作詞麻生圭子、作曲中崎英也というのも当時旬の作詞家作曲家で、ともに女性アイドルにも多くのヒット曲を提供している頃で、正攻法で正統派アイドルを目指していきたかったのでしょう。

 

 『秋からのSummer Time』という季節ずれのタイトルも一つの手法で、特に80年代半ばごろにはわりとあって、KUWATABAND『MERRY X’MAS IN  SUMMER』、浅香唯『10月のクリスマス』、EPO『12月のエイプリルフール』と、一回聞いておやっ?と違和感を覚えさせるところが狙いなのでしょう。『秋からのSummer Time』もその流れにあるタイトルなのでしょうが、歌詞をみると真夏に始まった恋が、秋になっても変わらずに続いてほしいというような内容なのですね。つまりはSummer Timeが秋以降も続いていった欲しいという意味での『秋からのSummer Time』ということがわかります。

 

《街へ帰るカプリオーレ 風のバラッド聴きながら 腕を合わせ日焼の色》

《真夏の恋は続かないって そんなのジンクスね》

《波の音が聞きたいから 車を止めてもう一度》

《初めて会った星屑のテラス 夢の話をしてくれたでしょ 続きを聞きたいわ》

《秋からのSummer Time あなたをもっと知りたい》

《景色は変わるから I love you so 不安になるの》

《消えないでSummer Day お願い約束よ》

夏の終りを迎えて秋を迎えようとしている時節、過ぎ去る夏に哀愁を感じて寂しくなっているのでしょう、秋になってもこの恋は続くのかと不安ながらも、これからも好きでいてねというせつない恋心が伝わってきます。(“カプリオーレ”というのが時代を感じさせますが…)

 

 このようにまさに正統派のアイドル的ラブソングだったのですが、この曲を出した頃から、仁藤優子は喉に不調を来していくのです。それもどうやら風邪のような一時的なものではなかったようで、テレビの歌番組などでもその不調となってしまった喉で無理に歌う姿は、観ていても痛々しいものでした。デビュー曲で聴かせていた伸びのある歌声は消えてしまい、特に高音の部分では声が裏返ってしまい、とにかく苦しそうでした。歌手として声が出ないというのは致命的です。せっかく勢いが出てきて、これからトップを目指そうかという時期でのこれは不運でしかありません。仁藤優子のアイドル歌手としての展望はこの時点で閉じてしまったといっても過言ではないでしょう。この後3rdシングル『センチメンタルはキ・ラ・イ』(1988年2月)が18位、1年半待っての4th『そのままの君でいて』(1989年12月)が52位、5th『パールカラーにゆれて』(1990年10月)はとうとう圏外と転がり落ちていき、デビュー時の輝きを取り戻すことなく歌手としての活動を終えていくのでした。

 

 その後は女優として現在まで活動を続けていますが、もし喉を壊していなかったら、もしかして歌手仁藤優子には別の展開が待っていたかもしれないと思うと、とても残念です。