80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.328
真赤なウソ 明石家さんま
作詞 高見沢俊彦
作曲 高見沢俊彦
編曲 国吉良一
発売 1987年2月
俳優としても成功したお笑い怪獣が歌手としてもそこそこのヒットを飛ばしたアルフィー高見沢作詞作曲の一曲
お笑い芸人がある程度人気になると、レコードを出しませんかという話はかなりあったのでしょうね。タモリもたけしもそしてさんまもレコードを出していて、その中で一番セールス的に実績があがったのが明石家さんまでした。ただ明石家さんまも1979年9月に発売した1stシングル『Mr.アンダースロー』は全く売れずに、トップ100圏外。続く2nd『Bigな気分』(1980年8月)、3rd『いくつもの夜を超えて』(1981年5月)も鳴かず飛ばずで、ここで一旦歌手活動は中断しました。しかし人気がさらに上がって絶頂期を迎えた1986年5月には、5年ぶりに出した4thシングル『シングル・ベッド』がオリコン31位、3.1万枚とシングルチャートにはいる健闘を見せ、これはいけると踏んだのでしょう。THE ALFEEの高見沢俊彦に楽曲を依頼して完成した5thシングル『真赤なウソ』はオリコン最高17位、売上8.0万枚とさらに売上を延ばし、そこそこのヒットとなったわけです。
そもそも明石家さんまはお世辞にも歌が上手とはいえないのですが、それでも何曲もシングルレコードを発売してきたということは、商売になるからという以前に、歌うのが好きなのでしょうね。本業の歌手ではないし、所詮お笑芸人だから、別にうまく歌わなくても問題ないでしょ、とそんなスタンスだったのでしょうね。今でも自身の出したレコードの話が出てきたときに口ずさむのは、この『真赤なウソ』ですから、この歌の実績については、ある程度満足しているのではないでしょうか。
そして『真赤なウソ』の歌詞も、さんまの当時の口八丁的なパブリックイメージにぴったりな軽薄な男を描いていて、この歌はさんまのキャラクターに見事はまり、そんな点もヒットの一因になっているのではないでしょうか。そしてそれを作ったのが前述の高見沢俊彦です。高見沢俊彦は結構お笑い芸人に楽曲を提供することが多くて、とんねるず『大きなお世話サマー』(作詞作曲)、猿岩石『ツキ』(作曲)などがあり、また作詞作曲は違いますがふなっしーのプロデュースなんかもやっていて、結構お笑いとの相性もよさそうなのです。
この歌詞、なんといっても計4回歌われる、歌の最後の決め台詞的なフレーズがインパクト絶大で、
《どんなに男が偉くても 女の乳房にゃかなわない 真赤なウソ!》
ここがこの曲のほとんどすべてを物語っているように思います。『真赤なウソ』はとにかく男のスケベでちゃらんぽらんさを描いた歌詞で埋められているのです。
《酔ったはずみで抱いた時に うっかり好きだと囁いて 目覚めた朝に青ざめた》
《真赤なウソを重ねながら 純愛・不倫をくり返す》
《真赤なウソと知りながら 微笑み交わしてI LOVE YOU》
《男と女の下心 知らない素振りで抱き合った》…
この歌詞を高見沢俊彦が書いているのが凄いと思っていて、まるで職業作家のように、歌い手である明石家さんまに寄せているのですよね。ほんと見事でした。
さてこのあともしばらくはさんま人気がレコードセールスにも繋がっていき、甲斐よしひろ作詞作曲の6thシングル『サンキュー』(1987年8月)は最高位が12位まで上昇、続く7th『蒼いタメイキ』(1988年3月)は高見沢俊彦に戻って、こちらの最高位が17位と、3曲連続のトップ20入りを果たしています。トレンディードラマでも活躍していた当時ということもあってね、この辺りが明石家さんま人気の最大ピーク期だったといえるでしょう。
その後の歌手活動は下火になっていくのですが、売れる時期に続けて発売して稼いでおいて、あとはまた本業に専念といったところで、うまく商売したなあという感じですかね。その本業での活躍は今更いうまでもないです。