80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.161

 

泣かないで  舘ひろし

作詞 今野雄二、宮原芽映

作曲 舘ひろし

編曲 神林早人

発売 19848

 

 

 

ミュージシャン舘ひろし存在の証明となる、今や名刺代わりのアダルトムードの大ヒット曲

 

 今や俳優という言葉以外の肩書きが思い浮かばない舘ひろしですが、もともとはロックバンド「クールス」のボーカルを務め、自らも作詞・作曲を行うミュージシャンだったのですね。ちなみにクールスとしては、唯一『紫のハイウェー』(19759)がオリコントップ100入りしています。その後「舘ひろしとセクシー・ダイナマイツ」時代を経て、ソロ歌手に移行しています。

 

 こうした元バンドマンの俳優は意外にベテラン勢に多くて、石橋凌、陣内孝則、寺尾聰、岩城滉一あたりは今や大御所俳優ばかりですが、元々はミュージシャンなんですよね。その中でもソロ歌手としてヒット曲を持っているのは、寺尾聰と舘ひろしぐらい。そんな意味でも、この『泣かないで』のヒットは、舘ひろしとしても大きな財産になっていることでしょう。当時34歳でしたが、中学生から見ると、それ以上の大人に感じていて、大人になった今振り返ってみると、47歳ぐらいの貫禄がありましたね。この『泣かないで』も当時のヒットチャートを賑わしているアイドルやニューミュージック勢とはまったく異分野の存在であり、かといって演歌勢とも違う、まさにアダルトなムードを満面に醸し出していた一曲でした。

 

 『泣かないで』はオリコン最高8位、売上24.9万枚を記録しましたが、それ以上に当時テレビの音楽番組に毎週のように披露され、ヒットしている感は強かったですね。この曲はゆったりとして曲調で、ロックというよりは、ムード歌謡の雰囲気を持った作品でしたが、作曲は舘ひろし自身がしているのですね。舘ひろしは自身のシングルについては、作詞だけの楽曲、作曲だけの楽曲、作詞・作曲ともに行っている楽曲と、わりとフレキシブルなスタンスをとっていたのですが、『泣かないで』に関しては、作詞は今野雄二、宮原芽映の共作ということになっています。今野雄二は、他にも多少作詞業を行ってはいますが、本業は文筆業で映画や音楽の評論を行ったり、小説を書いたりというのがメインの人。宮原芽映はシンガーソングライターとしても活動していて、他の作詞曲でも目立ったヒットはありません。ですから作詞の二人にとっても、この曲のヒットは決して小さなものではなかったはずです。

 

 歌詞はけっして難しいものではなくメロディも覚えやすいので、ちょっと聴いただけでだれもが口ずさめるような歌だったというのも良かったのでしょうね。1コーラスめではまず状況を物語るアイテムを名詞止でずらずら並べ、サビでは《泣かないで》の連呼。タバコ、レコード、指輪、中国茶、ピアノ、指、写真、グラス、微笑み、口紅と視覚・聴覚で感じる状況を表す言葉の間に《途切れたままの言葉》《言いかけてやめた嘘》と、ちょっとだけ異質なものを挟む小技。2コーラスめになると二人の会話が歌詞になっていて《このまま友達で さよならは言えないわ 弱くなったの私 今も愛してるわ》《気の強い女だったろ 涙は嫌いのはずだろ》と、攻め方を変えてくるところが、今改めて読むと、なかなかおしゃれなんですよね。10代のガキんちょにはわからない大人ならではの曲の良さが、『泣かないで』をヒットに導いたのでしょう。

 

 舘ひろしはこのヒットの勢いで、次のシングル『今夜はオールライト』(19855)もオリコン最高17位、売上85万枚とそこそこの実績を残しましたし、19918月リリースの『いとしのマックス』もオリコン21位と、もう少しでトップ20という成績を残すなど、90年代までは歌手としても活躍を続けていました。また『朝まで踊ろう』(19779)19927月にMi-Keがカバーしてヒットするといったこともあり、違う形でもミュージシャンとしての存在感を示していました。この『朝まで踊ろう』はどこかノスタルジックなムードのあるダンスナンバーで、個人的には大好きな曲ではあります。ただその後は俳優業がメインとなり、今の舘ひろししか見ていない人にとっては、そもそも歌手だったことも知らないのではないでしょうか。たまには『泣かないで』を歌う姿も見てみたいものです。