80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.122
ゆうこ 村下孝蔵
作詞 村下孝蔵
作曲 村下孝蔵
編曲 水谷公生
発売 1982年4月
唯一無二のぶれない特有の世界観が世に広まる前夜、ブレイクのきっかけとなった珠玉の一曲
村下孝蔵といえば、まずは大ヒット曲『初恋』(1983年2月)が挙げられますし、唯一のオリコントップ10入り(最高3位)を果たした曲でもあります。売上も52.6万枚ということで、一気に村下孝蔵の名前を世に知らしめる作品になったことには違いありません。ただ実はこの『初恋』のヒットには前兆がありまして、その直前(といっても1年近く前なのですが)にリリースした『ゆうこ』(1982年2月)が、オリコン最高23位ながら、15.3万枚の売上まで伸ばしていたのです。
そもそも村下孝蔵は1980年5月『月あかり』でデビュー(このA面よりも後にB面の『松山行フェリー』の方が名曲としてとりあげられることも多くなるのですが…)。続く2ndシングル『春雨』(1981年1月)が初のオリコントップ100入り(58位)と、じわじわと名前を浸透させている中での、4枚目のシングルが『ゆうこ』だったのです。村下孝蔵の作る歌はかなり特徴的で、決して最先端の新しい流行歌ではなく、〈懐かしいあの頃〉を思わせるような楽曲が多く、懐かしい青春時代、懐かしい恋、懐かしい風景…そういったものを、素朴な情景描写と繊細な心象描写により分かりやすい歌詞にして、美しいフォークソング的なメロディーに乗せた曲を送り出していました。さらに歌声もきれいで、自身の作る作品に見事にマッチ。イメージを壊すことを恐れたためかどうか、レコードのジャケットも自身の写真を使うことはせず、切り絵風の懐かしさを誘うデザインで統一し、そのあたりのコンセプトもぶれることがなかったので、固定ファンは非情に多いアーティストでもありました。私自身、アルバムも何枚か買いましたし、大学の先輩のつてで手に入れた渋谷でのコンサートのチケットを前から2列目で観たこともあります。
そんな作品の中にあって『ゆうこ』は、他の作品と比べてやや謎めいた雰囲気があり、村下孝蔵の曲の中では異質感を覚える作品ではあります。どこか陰を背負う年上らしき女性に対し、どうしようもない恋情を抱えた僕が、どうにもならないはがゆい気持ちを歌にしているのですが、その歌詞がかなり幻想的。果たしてこれは現実なのか、幻なのか、聴いているものにいろいろと想像させるような魅力のある歌詞だと私は思っています。《記憶の陰にぽつりと座り 淋しげに 白い指先 ピアノを弾く女》と、ピアノを弾く淋しげな女性の姿をぼんやりと映し出したうえで、《ショパンが好きよ 悲しい調べ奏でれば 恋のできない私に似合いと言った女》と、その女性の寂しさを別の表現で畳みかけてきます。しかしながら《ピアノの音はどこか冷たく あの女は 壁にかかったモナリザのように 子供のような僕のことなど見もせずに 真珠のようにかたく心を閉ざしてる》と、まったく相手にされない自分のもどかしさ。そして《窓越しに見ていた黒髪にまかれて 目覚める夢を見たよ》なのです。黒髪にまかれる夢とは、いったいどんな夢なのか、彼女にはいったいどんな過去があったのか、僕とはどんな関係なのか、窓越しで見ていただけ? でも「ショパンが好きよ」なんと話はしている? いろいろ深く考えれば考えるほど謎めいた歌詞なのですが、そこがこの曲のたまらない魅力になっているのです。
女性の名前を曲のタイトルにした作品はどの時代にもありますが、1970年代から80年代前半にかけては、まだリアルな日本の女性の名前をそのまま使った曲がまだまだあったように思います。甲斐バンド『安奈』、長渕剛『純子』、ばんばひろふみ『SACHIKO』、ニック・ニューサ『サチコ』、伊藤敏博『景子』、そして村下孝蔵『ゆうこ』(村下孝蔵はのちに『アキナ』というシングル曲も出しています)。一方で、佐野元春『アンジェリーナ』、安全地帯『Juliet』、アン・ルイス(竹内まりや)『リンダ』、原田真二『キャンディー』、吉川晃司『マリリン』といった洋風の名前の曲も出てきてはいたのですが、今日では前者はすっかり廃れてしまって、後者だけがときおり誕生するような状況にはなっていますね。
『初恋』がヒットしている当時はほとんどテレビで歌うことのなかった村下孝蔵ですが、後年は時折テレビでも歌唱することがたびたび見られます。どうやら本人よりも、周りがストップをかけていたということでしたが、残念ながら村下孝蔵は46歳の若さで亡くなってしまいます。シングルだけでなくアルバムでも数々の名曲を送り出し続けていただけに、私自身とても残念でショックを受けたことを覚えています。