80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.111
大きなお世話サマー とんねるず
作詞 高見沢俊彦
作曲 高見沢俊彦
編曲 武部聡志
発売 1987年6月
お笑いコンビとしてコンスタントにヒットを出し続けたとんねるず、アルフィー高見沢と組んだ遊び心いっぱいのGS風ソング
お笑いタレントがシングルを出してヒット曲を出したケースは時々ありますが、番組の企画からみであったりして、単発とか数発で終わることが多いのが普通です。しかしとんねるずの場合、お笑い活動と並行して、コンスタントにシングルをリリースしつづけ、そのほとんどがヒットしたということでは、稀有な存在といえるでしょう。5枚目『雨の西麻布』(1985年9月)から22枚目『ガニ』(1994年12月)まで、18曲連続でオリコントップ10入りしているというのは、かなり凄い記録です。そしてそのシングルの内容も実にバラエティに富んでいて、演歌調であったり、コミックソングであったり、ディスコミュージックであったり、子供を意識した歌だったりと、毎回毎回、次はどんな手で来るのか、ワクワクさせてくれました。そのとんねるずの後ろに控えていたのが秋元康であり、いろいろ知恵を絞って企画を考えていたのでしょうね。ただし、とんねるずが出したシングル曲の中で、唯一作詞を秋元康が担当していないのが、この『大きなお世話サマー』なのです。
『大きなお世話サマー』の作詞、作曲はともにTHE ALFEEの高見沢俊彦です。それ以外の曲はすべて秋元康が作詞していますので、かなり貴重なとんねるずにとっては珍しい作品といえるのかもしれません。そうはいっても、高見沢俊彦は、作曲家として他のアーティストへの曲の提供はちょくちょくあって、代表曲としては、小泉今日子『スターダスト・メモリー』『木枯らしに抱かれて』『ハートブレイカー』、新田恵利『若草の招待状』、柏原芳恵『し・の・び・愛』、明石家さんま『真っ赤なウソ』、猿岩石『ツキ』などがあります。ここに明石家さんまや猿岩石の名前があるように、実はお笑い芸人との結びつきもわりと多いのですね。
『大きなお世話サマー』はタイトルからして人を食ったような感じになっていますが、分かるように「お世話様」の“様”と、夏を意味する“サマー”がかけられたタイトルになっています。そして曲調としてはGS(グループサウンズ)調なのですね。1987年から1988年頃のとんねるずはいろいろ手を変え品を変えて攻めている最中で、ディスコミュージック『嵐のマッチョマン』(1987年2月)や『炎のエスカルゴ』(1988年2月)だったり、演歌調『迷惑でしょうが…』(1987年4月)だったり、そしてこのGSだったりしたわけです。曲調だけでなく、ひと夏の恋を歌った歌詞も、60年代に使われたような言葉を繋げて、当時から見た一昔前感、つまりはGS全盛期の時代感を表現しているように思えます。《誰より長い髪 誰より白い肌 守ってあげたいと 海に誓うのさ》《狂った果実は 危険な恋の味》《白いプカシェル 二人のイニシャル》など、ちょっとこそばゆいような表現も、ちょっと昔のものだと考えると、愛おしい思い出のように聴こえてくるものです。とんねるずのふたりが歌う時も、次第にGSを意識したスタイルに変化していったようです。
セールス面から言うと、『雨の西麻布』が最高5位・売上22.1万枚、次の『歌謡曲』(1986年1月)が最高2位・売上25.0万枚と一端のピークを迎えた後、『やぶさかでない』(1986年5月)、『寝た子も起きる子守唄』(1986年8月)、『人情岬』(1986年10月)、『嵐のマッチョマン』、『迷惑でしょうが…』、『大きなお世話サマー』まではいずれも売上10万枚台と、安定期が続きます。その最後が『大きなお世話サマー』だったわけですね。
この後はトップ10以内こそ維持するものの、売上一桁万枚の時期がしばらく続いくのですが、その後90年代に入り、大爆発することになるわけです。またとんねるず二人の枠組みにとらわれず、野猿だったり、矢島美容室だったり、木梨憲武は山本譲二、石橋貴明は工藤静香とそれぞれデュエットしたりと、とらかくいろいろな形で挑戦してきて、飽きさせないところが凄いところです。
最後に、とんねるずのシングル曲で好きなベスト10を選んでみました。
1 迷惑でしょうが… ★
2 ガラガラヘビがやってくる
3 大きなお世話サマー ★
4 雨の西麻布 ★
5 歌謡曲 ★
6 炎のエスカルゴ ★
7 一気! ★
8 情けねぇ
9 がじゃいも
10 嵐のマッチョマン ★
★=80年代発売