80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.105
YES MY LOVE 矢沢永吉
作詞 ちあき哲也
作曲 矢沢永吉
発売 1982年2月
“Yes coke yes” 熱っぽさとけだるさがコカ・コーラのCMに見事にマッチしたYAZAWAらしい一曲
ジョニー大倉らと組んだキャロルの解散後、1975年9月『アイ・ラヴ・ユー、OK』でソロデビューした矢沢永吉は、1978年3月発売『時間よ止まれ』がオリコン1位、売上63.9万枚の大ヒットとなり、一躍カリスマ的ロッカーとして、特有の地位を築くことになりました。80年代に入っても『THIS IS SONG FOR COCA-COLA』(1980年3月・オリコン5位・30.1万枚)、『涙のラブレター』(1980年5月・オリコン9位・12.6万枚)、『抱かれたい、もう一度』(1981年4月・オリコン5位・33.7万枚)とヒットを飛ばし、より熱狂的な支持を集めていく中でリリースされたのが『YES MY LOVE』でした。
この『YES MY LOVE』は、『THIS IS SONG FOR COCA-COLA』に続いて、コカ・コーラのCMソングに起用され、毎日毎日テレビで流されました。本人が登場したり、当時アイドルの三原順子が出たりと、いろんなパターンのCMに使われたこともあり、テレビの音楽番組には出なかった矢沢永吉ではあっても、一般の人たちにもかなり浸透し、オリコン最高8位、売上34.3万枚のヒット曲となったのです。この曲は矢沢永吉らしい独特のけだるさと熱さを感じさせるくせを持ち合わせながらも、聴きやいメロディー的になっていて、CMの映像に映る汗をかいたグラスやガラス瓶に見事にはまり、相乗効果としてはかなりのものがあったのではないでしょうか。
コカ・コーラのCMは、化粧品のキャンペーンソングほどではないにしても、『YES MY LOVE』のほかにも時々ヒット曲を産み出してきました。ただ流行曲としてのヒットは矢沢永吉が最初で『THIS IS SONG FOR COCA-COLA』『YES MY LOVE』と続けて矢沢永吉がヒットさせたことで、あとに続く曲が生まれていくわけで、その意味でも『YES MY LOVE』の果たした功績は大きかったのかもしれません。主なところでは、松山千春『Sing a Song』(1983年)、早見優『夏色のナンシー』(1983年)、trf『BOY MEETS GIRL』(1994年)、奥田民生『息子』(1995年)、桑田佳祐『波乗りジョニー』『白い恋人達』(ともに2001年)、KinKi Kids『永遠のBLOODS』(2003年)、嵐『ハダシの未来』(2003年)、BENNIE K『Dreamland』(2005年)、RIP SLYME『熱帯夜』(2007年)、安室奈美恵『WILD』(2009年)、『Break It』(2010年)、EXILE『No Limit』、Little Glee Monster『世界はあなたに笑いかけている』(2018年)などがありますが、不規則的にヒットが生まれているという感じです。しかも男性アイドル、女性アイドルから旬のアーティスト、大御所まで、起用するアーティストもバラエティに富んでいて統一性がないのも面白いところです。
『YES MY LOVE』の作詞はちあき哲也。『ペガサスの朝』の回でとりあげていますので、代表曲の紹介は省きますが、矢沢永吉という人は、作曲はすべて自分で行っていましたが、作詞家は結構歌謡界の売れっ子のプロ作家に頼んでいることが多いのですね。山川啓介、大津あきら、売野雅勇、松本一起、秋元康、松本隆、松井五郎、高橋研と、一通り組んで仕事をしているのがまた凄いところですし、意外な感じもします。あまりメロディーに多くの言葉を乗せないことが多い矢沢永吉ですが、この『YES MY LOVE』は特に言葉数が少なく、ゆったりと歌っているように聴こえる曲になっています。そしてそのゆったり感が、どこか独特のけだるさに繋がっていて、味わいに繋がっているのではないでしょうか。個人的なことを記しますと、矢沢永吉の曲の中で一番好きな曲が『YES MY LOVE』なので、今回とりあげることにしました。
さて矢沢永吉ですが、『YES MY LOVE』のヒットの後は、しばらくセールス的には低迷する時期に入ります。そして再びチャートのトップ10に顔を出したのが、6年後の『共犯者』(1988年7月)の6位。ここからは再びセールス的には好調期となり、1994年までの7年間は毎年オリコントップ10入りのヒット曲をリリース。その中でも『PURE GOLD』(1990年5月)は自身2曲目の1位を獲得、また売上枚数では『アリよさらば』(1994年4月)が、『時間よ止まれ』に次ぐ自身2番目に多い売上枚数を残します。また、映画やテレビドラマなどに出演するなど、新しい分野にも挑戦するようになり、カリスマ性の中にも親しみを感じる存在になっていくのでした。