80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.104
青いスタスィオン 河合その子
作詞 秋元康
作曲 後藤次利
編曲 後藤次利
発売 1986年3月
質・量ともおニャン子人気絶頂期を象徴する曲、おニャン子関連シングル最大のセールスを残した、上京失恋ソングの佳曲
おニャン子クラブの人気絶頂期はいつか?と問われれば、1986年序盤ということになるでしょう。おニャン子関連のシングル売上のランキングトップ7はこのようになります。
1 河合その子 『青いスタスィオン』(1986年3月) 34.1万枚
2 新田恵利 『冬のオペラグラス』(1986年1月) 32.0万枚
3 国生さゆり 『バレンタイン・キッス』(1986年2月) 31.7万枚
4 うしろゆびさされ組 『バナナの涙』(1986年1月) 31.0万枚
5 新田恵利 『恋のロープをほどかないで』(1986年4月) 28.4万枚
6 おニャン子クラブ 『じゃあね』(1986年2月) 28.1万枚
7 吉沢秋絵 『季節はずれの恋』(1986年3月) 28.0万枚
いずれも、1986年1~4月に発売された作品です。このあとにソロデビューした高井麻巳子、渡辺美奈代、渡辺満里奈らはみんな、なんと吉沢秋絵以下だったのです! このあたりは時期の影響が大きかったのでしょう。唯一例外としては工藤静香がいるのですが、工藤静香が河合その子を超える売上に伸ばしていったのは、おニャン子クラブが解散したあとであり、おニャン子クラブ出身者の曲ではあっても、おニャン子関連の曲とはいえないため、やはりおニャン子関連のセールスナンバー1曲は『青いスタスィオン』なのです。
このように『青いスタスィオン』は量的な面でおニャン子クラブを象徴する曲になったのですが、一方で秋元康&後藤次利というおニャン子クラブを象徴する二人の作詞・作曲・編曲により、質的な面でもおニャン子クラブを代表する一曲でもあるのです。そもそも河合その子は、おニャン子クラブからのソロデビュー第1号として1985年9月『涙の茉莉花LOVE』を発売し、オリコン1位、19.0万枚の売上をいきなり残しました。この河合その子の成功により、次から次へとメンバーがソロデビューしていくことに繋がっていくわけですから、まさに河合その子が口火を切ったということですね。続く2ndシングル『落葉のクレッシェンド』(1985年11月)はオリコン2位、売上18.3万枚。そして3枚目のシングルとして出されたのが『青いスタスィオン』でした。
『青いスタスィオン』は発売された3月にぴったりの、いわゆる上京ソングです。都会へ出ていく者と、そこに残る者、一方の上京によって離れ離れになる恋人同士を描く上京ソングは、現在に至るまでの定番テーマではありますが、当時としても、鉄板といってもいいテーマでした。『木綿のハンカチーフ』『ブルージーンズ・メモリー』『花梨』などが、当時のアイドルが歌う上京ソングの代表的なものでしたが、特に『青いスタスィオン』情景描写と心象描写が素晴らしくて、歌詞を聴いていると映画のワンシーンのような映像が浮かんでくるようです。
《夏の前の淡い陽射しが駅のホームにこぼれてる》《細く光るレールに 空の青さが映ってる》《流れる雲 あなたの後を ずっとついて行きたかった》《抱きしめてくれたけど 私はふいにその腕から逃げた》《夕陽の中 ひざをかかえた あの日の少年のように 夢を捨てないで》《列車のベルが風にひびけば そんな強がりも消える》… このあたり、情景描写の中に心象描写を巧みに重ねていて、歌詞を読むだけで切ない気持ちになってしまいます。個人的には、初期の秋元康作詞曲の傑作だと思っています。さらにはメロディーも素晴らしくて、特に何か心の中を掻き立てるようなイントロが抜群。実は発売された1986年3月は、私自身の上京時期でもあったのです。大学入学のため、地方から東京へ上京し、一人暮らしを始めたのが3月の末か4月の頭か。そんなこともあって、余計にこの曲に親近感を感じたのかもしれません。
もうひとつこの曲に関する想い出。大学に入ると第二外国語の授業があるわけですが、私の選択したフランス語の最初の授業で、「知っているフランス語をひとつずつ言いなさい」と、席の順番で言わされることになった時、「スタスィオン」と答えたことを、今でも覚えています。当時知っているフランス語って、ほかには「アン・ドゥ・トロワ」ぐらいでしたから、タイムリーにこの曲がヒットしていたことに、実は助けられたのでした。
さて、このあとおニャン子クラブの人気が緩やかに低下していく中で、河合その子のソロ歌手としてのセールスも、少しずつ低下していきます。それでも4枚目『再会のラビリンス』(1986年7月)、5枚目『悲しい夜を止めて』(1986年10月)とオリコン1位を獲得しています。この『悲しい夜を止めて』も大好きな曲で、今回どちらの曲をメインでとりあげようか、最後まで悩んだほどです。同じ秋元康&後藤次利のコンビによる作品ですが、イントロやメロディーがかっこよくて、これまたたまらない曲ではあるのです。6枚目『哀愁のカルナバル』(1987年2月)が3位、7枚目『JESSY』(1987年6月)も3位と、ここまでがトップ10入りということで、平均的に楽曲の質が高く、他のメンバー以上に、河合その子については、楽曲に力を入れていたような印象はありますね。
しかしその後はひっそりと引退。なんと後藤次利と結婚していたのです。『青いスタスィオン』を作詞した秋元康が高井麻巳子で、作曲と編曲の後藤次利が河合その子ということで、そんな意味でもこのコンビによる『青いスタスィオン』はおニャン子クラブの象徴的作品というるのかもしれません。