80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.81
Chance! 白井貴子
作詞 白井貴子
作曲 白井貴子
編曲 西本明
発売 1984年6月
学園祭の女王、総立ちの貴子がようやくシングルチャートにランクインさせることができた9枚のシングル
「学園祭の女王」の元祖といえば、山下久美子か白井貴子か。白井貴子はさらに「総立ちの貴子」の異名も得て、1980年代の前半において、前述の山下久美子のほかアン・ルイスや浜田麻里らとともに、女性ロッカーの大衆化に大きく貢献していきました。デビューは1981年。4枚目のシングルでは佐野元春の『SOMEDAY』もカバーするなど、期待も大きかったのです。ライブでは前述のように「総立ちの貴子」と呼ばれ、を中心に次第にファンの心を掴み、アルバムでもそれなりの実績を作っていったのです。
ところが、シングルについては、とにかく売れませんでした。オリコンのトップ10どころか、100位内に入ってくることさえなかったのです。そこそこの知名度を得てきていた時期であっても、シングルが売れないというとても不思議な状況が、8枚目のシングルまで続いたのです。しかしながら、そんな苦しい状況の中で、大きなまさに「チャンス」が彼女にやってきたのです。
当時、人気急上昇中で、いよいよブレイク寸前かという状況の白井貴子に目をつけたのがシチズン時計でして、CM曲のオファーをしてきたのです。それまでヒット曲にまったく近づいたことのなかった彼女にとっては、願ってもない大型のタイアップ。かなり気合も入ったことでしょう。本人によると、ベストテンに入らなければならないというプレッシャーもあったようです。CMもなかなかしゃれていて、クレジットに「監督大森一樹、音楽白井貴子、製作シチズン」などと、映画のクレジットのような雰囲気を、短い中で表現していて、多くの人の目に触れ耳に触れることになったのでした。
その結果、100位どころか、オリコン最高12位と大きくジャンプアップを果たしたのです。売上も10.9万枚と、いきなり二桁万枚数。結果としてこれが白井貴子にとっての最大のヒット曲となりました。そしてこの一曲があったおかげで、ライブへの動員もまたさらに増え、大きな公演を次々に成功させていくことになるのです。本人曰く、寝る暇もない状態ということで、まさに『Chance!』によって大きなチャンスを掴み、成功へとつなげていったというわけなのですね。サビで繰り返される《Chance Chance Chance》が当時の彼女自身の気持ちをそのまま表しているようで、聴いている側にもされが伝わってのヒットだったのでしょう。どうやらこれを逃したら女じゃない、というような気持ちもご本人にもあったようです。
さてその後は、白井貴子 & CRAZY BOYSというバンド形態での活動へ移行、『Chance!』以上のヒット曲にはなかなか恵まれませんでしたが、『プリンセスTIFFA』(1985年10月)が6.4万枚を売上げ、白井貴子にとっては2番目に売れたシングルとなっています。この曲はカネボウのCMソングにも起用され、彼女の曲としてはポップでキュートな楽曲で、私も好きです。学園祭の女王としての知名度、化粧品のCMソング、『Chance!』での実績、そして楽曲の良さを考えると、もっと売れても良かったと思うのですが、残念ながら、白井貴子については、シングルのヒット曲とは縁が薄かったようで、結局トップ10入りを果たすことはありませんでした。この点において、オリコントップ10入りしたヒット曲を持つ山下久美子、アン・ルイス、浜田麻里らと比べると、不憫な気持ちを感じることはあります。しかし現在におけるまで、活動の形を変えながらも、精力的に走り続ける姿を思うと、充実したミュージシャン人生を送っているのではないかとも思うわけです。