80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.76
ふるさと 松山千春
作詞 松山千春
作曲 松山千春
編曲 大原茂人
発売 1981年9月
故郷を離れ都会でひとり暮らしする中、一家だんらんの声にふとふるさとの家族を思い出す、千春流望郷ソング
松山千春のシングル曲のリストとその売上、順位を見ていると、まるでアイドル歌手のリストのような流れになっていることに気づきます。松山千春のようなフォークソングをベースとした歌手の場合、売れた曲とそうでない曲に大きな凸凹があるのが通常です。良い曲だと支持された曲は跳ね上がり、あまり受けなかった曲は下位に低迷する。逆に、曲の出来以上にアーティストパワーがセールスに影響を与えるアイドル歌手などの場合は、売れだすと続けて一定以上のセールスを残し、一旦落ち込んでしまうとそのままずるずると低迷していくというような構図になりがちです。
松山千春が初めてオリコンのシングルチャートでトップ10に入ってきたのが、代表曲の1つ『季節の中で』(1978年8月)で、見事に1位を獲得し、85.1万枚を売り上げました。そしてその後『Sing a Song』(1983年3月)まで10曲連続でトップ入りを果たし、4年以上の間、絶大なアーティストパワーを発揮していたのです。ところが『Sing a Song』の後はずるずるとシングルのセールは落ちていき、一度もトップ10に返り咲くこともなく、これといったヒット曲を出すことなく、現在に至っているわけです。ただそれでもいつでも誰に対しても大きな顔をしているわけですから、そのあたりの大物感は大したものです。
松山千春の代表曲というと、前述の『季節の中で』と、1981年4月に発売された『長い夜』で、この2曲が松山千春のナンバー1獲得シングル曲となっています。『長い夜』は売上も86.6万枚と、キャリア最大のものとなっていますが、その『長い夜』の次にリリースしたのが、今回取り上げた『ふるさと』となるわけです。本当は『夜明け』を取り上げたかったのですが、1979年8月の発売ということで断念。『長い夜』や『恋』(1980年1月)はあまりにメジャー過ぎて尻込みしてしまい、結果独特の詩が面白い『ふるさと』にしてみました。
この『ふるさと』は、『長い夜』や『恋』のような恋愛の要素を一切廃した、純粋な望郷ソングになっています。《喫茶店でほおづえついて 誰か待つよなふりをして》から始まり、一人所在なげに喫茶店で時間をつぶす様子が、前半は延々と歌われます。《いなか者とは悟られぬよう 3杯目のコーヒー頼んだ いくら何でも3杯飲めば それもしっかり飲みほせば 店の雰囲気 冷たい視線 気まずい思い かみしめて》と、ここのユーモラスな描写が、映像にも浮かびそうな表現で、かなり強い印象を残します。彼はどうやら涙を隠すこともなくこぼしているようですが、本人はタバコの煙のせいにしていて、前半だけでははっきりとした背景は見えてきません。
ところが後半は、喫茶店を後にしてからの街の中の描写に、背景が移っていきます。《緑の電車》《街は灯をともしだす》《電車を降りていつもの道》《幸せそうな灯がもれる 一家団らん 笑い声》《公衆電話 百円玉の黄色いやつ》…。暗くなった街の様子を、最初は電車の窓から、その後はとぼとぼ歩きながら、歌っているのですが、一家団らんの声を聞いて、とうとうたまらなくなったのでしょう。家に着くより前に公衆電話を探し、ふるさとの父さん母さんに電話をしてしまうのです。それでも《帰りたいさ 今すぐにでも それがいえずに それじゃまた》がなんて切ないじゃないですか! まだまだ叶っていない夢を心の中にとじこめ、それが実現できるまでは、ふるさとには帰れない、そんな覚悟が感じられる描写でもあります。
このように『ふるさと』は物語性のある作品で、曲そのものも6分を超える長さとなっているのです。ですから、前作のような大ヒットまでを狙ったものではおそらくないでしょう。それでも勢いもパワーもあった当時の松山千春でしたから、オリコン最高3位、売上30.0万枚とこちらもヒットしたのです。キャッチーではないけれど、歌詞を読むと味わいのある曲として、一定の支持を受けた結果だったということでしょう。ただ、松山千春にとって30万枚を超えるシングルはこれが最後になります。この後『夜よ泣かないで』『夢の旅人』『Sing a Song』ときて、以後は、冒頭で記したように、オリコントップ10からも外れてしまい、シングルとして大ヒットを飛ばすことはなくなっていくのでした。