80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.73
冬のリヴィエラ 森進一
作詞 松本隆
作曲 大瀧詠一
編曲 前田憲男
発売 1982年11月
ニューミュージック系アーティストとも積極的にタッグを組んだ演歌の大御所の、8年ぶりで最後のトップ10曲
作詞松本隆、作曲大瀧詠一、歌唱森進一という組み合わせに当時は新鮮な印象を覚えたものですが、これがまた森進一に意外にはまっていて、演歌に対して抵抗感のある若者たちにも受け入れられるような曲に仕上がったのです。森進一という歌手は、時々演歌の枠をはみ出して、当時ニューミュージックといわれていたアーティストたちと組んだシングルを発売することがあり、そのあたりへの嗅覚とかバランス感覚とかには、かなり優れたところがありました。レコード大賞を獲得した『襟裳岬』(1974年1月)や『夜行列車』(1977年6月)の吉田拓郎、『紐育物語』(1983年4月)の細野晴臣、『待たせたね』(1984年2月)の松山千春、『風のエレジー』(1990年8月)の井上陽水、『悲しみの器』(1995年9月)の谷村新司、『夜の無言』(1996年8月)のはたけ(シャ乱Q 作詞はまこと)など、そうそうたるミュージシャンが曲を提供しているのです。しかもその間には、船村徹だの猪俣公章だの遠藤実だのといった大先生の作った正統派の演歌も歌っているわけですから、その幅の広さには驚かされるのです。
そんな中でも、『襟裳岬』と並んで多くの人に支持されたのがこの『冬のリヴィエラ』でした。レコードセールス面での森進一のピークは1974年ぐらいまでで、1967年以降、毎年必ず1曲は、オリコントップ10入りするようなヒット曲を出してきていました。しかし1974年9月発売の『北航路』の10位を最後に、トップ10からは遠ざかっていたのです。最高で1979年7月発売『新宿・みなと町』の18位、売上18.3万枚であり、もはや旬を過ぎた歌手といわれても仕方ないような状況だったのです。ところがそんな中で発売された『冬のリヴィエラ』はオリコン最高10位、売上枚数26.4万枚と、実に8年ぶりのトップ10入りを果たしたのです。当時のテレビのランキング番組にも登場し、たのきんや聖子ちゃん目当てで見ていた若い子たちにも覚えられ、わりと抵抗なく口ずさめる演歌歌手の歌としてしたしまれました。実際に、中学生だった私も、この曲は今でもそらで歌うことができます。そしてそれにはやはり、松本隆&大瀧詠一という作詞作曲コンビの力が大きかったことには間違いないでしょう。
松本隆&大瀧詠一のコンビでの楽曲提供というと、ほかに松田聖子『風立ちぬ』、太田裕美『さらばシベリア鉄道』、薬師丸ひろ子『探偵物語』がありますが、いずれも女性アイドルで、その中にラインアップとして森進一『冬のリヴィエラ』が加わるのです。ちなみに大瀧詠一が他の作詞家との組み合わせで提供したヒット曲には小泉今日子『怪盗ルビイ』、小林旭『熱き心に』などもあります。この『冬のリヴィエラ』は森進一が歌うと、演歌とニューミュージックのちょうど間にあるような歌に聴こえ、その塩梅がちょうど良かったのでしょう。演歌とはちょっと違ったおしゃれ感があり、かといって冒険しすぎた感、無理に頑張っている感もなく、演歌ファンにも、演歌嫌いの層にも売れ入れられるちょうどいい線の楽曲なのですね。
そして松本隆の詩がまた絶妙なのです。映画のような情景が想像できるような言葉が多く登場し、リヴィエラという町を知らなくても、不思議と想像できてしまうような歌詞なのです。《ホテル》《窓辺のラジオ》《陽気な唄》《アメリカの貨物船》《桟橋》《旅行鞄》《はずした指輪》《酒の小びん》《シュロの樹》《革のコート》…、異国情緒あふれるわびしげな風景にちょっととした小道具が使われて、なんともいえないもの淋しさを感じるような、雰囲気のある歌詞なのです。
結果として、森進一にとって最後のトップ10入りシングルとはなってしまいましたが、この曲の存在というものは森進一にとってもかなり大きなものになったのではないでしょうか。1980年代に青春時代を過ごした世代にとっては、この曲がなければ、森進一は1970年代に活躍した演歌歌手という印象だけを持ち続けていたと思います。しかしこの『冬のリヴィエラ』がヒットしたことで、より親しみを感じる存在になりましたし、昔ながらの演歌だけでなく新しい音楽にも意欲的に挑戦する歌手としての印象をその後もずっと持ち続けることにもなりました。その意味で『冬のリヴィエラ』は森進一を語る上では外せない一曲といえるでしょう。