80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.72
B・BLUE BOØWY
作詞 氷室京介
作曲 布袋寅泰
編曲 布袋寅泰
発売 1986年9月
あっという間に駆け昇り、あっという間に消えていった伝説的バンドのブレイク・シングル
BOØWYのブレイクから解散までの怒涛の流れをみていると、一つのバンドに二人の巨頭は並び立たないということを、明確に認識させられるのでした。氷室京介と布袋寅泰、この二人が巡り合って同じバンドで活動していたということは、今思うとものすごい奇跡に思えてくるのです。
BOØWYのデビューは1981年でしたが、もちろん最初から売れていたわけではなく、デビュー当時の楽曲は粗削りで、万人に受けるようなものでもなかったのも事実です。ようやく一般大衆の認知に向けて火が付き始めたのが1986年の前半。2月に発売されたシングル『わがままジュリエット』が初のオリコンチャート入りの39位、3月に発売されたアルバム『JUST A HERO』がアルバムチャートの5位という結果を残します。しかしこれでもまだまだ音楽好きの一部の層だけが知っているというような状態です。ところが同じ1986年の後半にはガラリと状況が変わるのです。9月に発売されたシングル『B・BLUE』がオリコン最高7位と、とうとうトップ10入りを果たし、11月リリースのアルバム『BEAT EMOTION』に至っては、念願のアルバムチャート1位を獲得するのです。
私自身、この『B・BLUE』を初めて聴いたときには、切なくてかっこよくて、なんて素晴らしい曲なんだと感動したのを覚えています。布袋の曲もカッコよければ、氷室の詩も心に響くもので、発売されたのもこれから涼しくなっていく秋口ということもあいまって、何度も何度も聴いて、そして口ずさんだものです。《ポケットにつめ込んだ 夢だけですごせたネ このままでいつまでも続くなんて》思っていた恋も、《不器用な愛で》《いつも傷つけあってたネ》《違う明日を見つめてた》といつの間にか気持ちがすれ違うようになり、《さみしい笑顔がある事も 気づかずにいた俺》に訪れた別れ。《乾いた風にかき消されて 最後の声も聞こえない 歪んでく街並も色あせて》と、ショックからなのか、別れを告げる言葉も耳に入らないのでしょう。それでも長年一緒に夢を追ってきた恋人に対しては《今度こそは幸せになる事祈ってる》《やぶれた翼で》《もう一度翔ぶのさ》とエールを送るのです。『B・BLUE』は今でもBOØWYの代表曲として、シングルの中では人気の高い曲で、セールス的にはもっと売れた『ONLY YOU』や『Marionette』よりも、支持が高いのではないでしょうか。カラオケでもよく歌ったものです。
さてこの『B・BLUE』とアルバム『BEAT EMOTION』で人気に火が付いたBOØWYの勢いはさらに加速していきます。翌1987年4月リリースの『ONLY YOU』はオリコン4位、1987年7月リリースの『Marionette』ではとうとうシングルでもオリコン1位を獲得するのです。惜しいのはこの時代、ドーナツ盤からCDへの移行期の真っただ中で、シングルレコードの売上が、音楽業界全体として低迷していた時期であったことから、枚数的には目立った数字ではなかったこと。おそらくあと2、3年前後にずれていたら、セールス的にももっと爆発的な数字になったのではないでしょうか。それでも1987年9月に発売されたアルバム『PSYCHOPATH』も当然のように、アルバムチャート1位を獲得し、まさに人気絶頂を迎えたBOØWY、これからさらにどんな高みを見せてくれるのか、どんな良い曲を聴かせてくれるのか、期待感でいっぱいだったのを覚えています。
ところが、そんな絶頂期の1987年の12月、突然の解散宣言で世間を驚かすことになるのです。そして1988年4月、予定通りBOØWYとしての活動を終わらせ、以後現在に至るまで、再結成することもなく来ているのです。その人気絶頂期間は約1年半、あっという間の出来事だっただけに、それが余計に伝説的存在として今でも語りつがれているということになっているのでしょう。さらには氷室と布袋、その後の活躍が、その伝説化に拍車をかけたのかもしれません。一定の世代以下の人にとってはピンとこないでしょうし、一定の世代以上にとっても、認知する前に消えてしまった存在なのかもしれません。ただ1986~1988年ごろに音楽に浸った世代にとっては、BOØWYの存在はやはり特別なのです。