80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.63

 

ABコンプレックス  相川絵里

作詞 藤原安寿

作曲 三浦一年

編曲 鷺巣詩郎

発売 19888

 

 

 

「ロッテCMアイドルはキミだ!」で島崎和歌子を抑えてグランプリを獲得した期待の新人の2ndシングル

 

1987年、第2回「ロッテCMアイドルはキミだ!」でグランプリを獲得し、翌年の19884月に『純愛カウントダウン』でデビューしたのが、相川恵里です。ちなみに準グランプリが島崎和歌子だということです。また第1回でグランプリをとったのが立花理佐で、本選に進出した中には鈴木早智子(のちのWink)もいたということで、そこそこのメンバーが揃っていたようです。当時はこのようなメーカー主導の芸能界への登竜門的コンテストがいくつかあって、実際にアイドルやタレント、モデルを送り出すなど、そこでのグランプリ獲得者となると、それなりのバックアップを得られたのです。

 

 そんな中で当然相川恵里も大いに期待された新人アイドルであり、実際にもこの年のレコード大賞で、新人賞を獲得、最優秀新人賞は男闘呼組にいったものの、事務所やレコード会社からもしっかり応援してもらっていました。デビュー曲の『純愛カウントダウン』もオリコン最高12位と、もう少しでトップ10入りという結果を残したのです。この『純愛カウントダウン』は楽曲的には無難中の無難という、あまり面白い作品ではなかったのですが、これだけの実績を残したということで、2ndシングルはさらにジャンプアップが望めるのではと、きっと期待されていたことでしょう。その期待の中でリリースされたのが『ABコンプレックス』でした。

 

 この『ABコンプレックス』の“AB”とは血液型のABということで、AB型の相川恵里に合わせて作られた楽曲だったということです。ただしよくよく検査してみると、実はAB型ではなかったらしく、お蔵入りしそうになったようですが、なかなか良い曲だからということで、2ndシングルとして敢えて採用されたようです。確かに『ABコンプレックス』は、デビュー曲よりも明るくはじけた楽しい作品になっています。歌詞もAB型の男の子に対する恋心を歌っていて、このあたりはもしかすると、当初予定していたものを書き直したのかもしれません、本人の血液型に関係なく歌える内容になっていました。

 

 ただ気になるのは作詞家。作詞が藤原安寿と失礼ながらあまりメジャーな作家ではありません。他の新人アイドルたちは、松本隆、売野雅勇、秋元康ら、有名どころに依頼することが多いのですが、そのあたりは予算の問題なのか、作品に惚れ込んだからなのか、コネがあったのか、理由は分かりませんが、ちょっと不思議な印象もあります。もちろん歌が良ければ、誰が作ったかなんてことは二の次ではあるのですが、作詞家としての藤原安寿の実績は極めて限定的であり、その中で相川恵里については13枚目と5枚目のシングルで作詞を担当しているということで、やはり違和感はあります。ちなみに藤原安寿作詞の4曲は、すべて作曲者が同じで三浦一年が担当していました。三浦一年については、早見優、浅香唯のシングル曲にも携わっているようです。

 

 それでも年末の賞レースに向けて宣伝には力が入っていたのでしょう、この曲もオリコンでは前作とと同じ最高12位を記録したのです。その後、10月にリリースしたSHOCK ME!16位、翌19891月発売の『サブウェイ・シンデレラ』20位と、ここまではオリコントップ20入りを続けました。しかしその後の売上は低下していき、6枚目シングル『約束』は春の選抜高校野球の行進曲に採用されるなどの話題もあったのですが、セールス的には伸びませんでした。やはりアイドルとして成功するには、やや地味な印象は拭えず、歌も特に上手なわけではないので、厳しかったのかもしれませんね。わりと早めに芸能界からも引退してしまいました。