80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.58
赤道小町ドキッ 山下久美子
作詞 松本隆
作曲 細野晴臣
編曲 大村憲司
発売 1982年4月
総立ちの女王をブレイクに導いた1982年カネボウ夏のCMキャンペーンソング
総立ちの女王、学園祭の女王、ロックの女王、ライブハウスの女王といろいろな異名で呼ばれた山下久美子でしたが、その名前が一気に広がったのが、この『赤道小町ドキッ』でした。1982年のカネボウの夏のCMキャンペーンソングに使われたことで、彼女自身の初めてのヒット曲となり、テレビのランキング番組などにも登場することで、多くの人の目に触れることになったのです。タイトルからしてそうですが、まさに夏真っ盛りといったようなストレートなサマー・ソングで、当時巨大な影響力を持っていた化粧品キャンペーンソングという力を借りて、オリコン最高2位、40.8万枚という売上をあげたのでした。
山下久美子のシングルのディスコグラフィとその売上実績を見ていると、かなり特徴的な動きをしていて面白いことに気づきます。たくさんのシングルをリリースしてきた山下久美子ですが、売上枚数が多い好調期と、売上が芳しくない低迷期とがはっきりしているということです。まず核となる1曲の大ヒットがあって、その直後の1~2曲がそこそこの売上を残し、それを過ぎると一気にダウンの繰り返し。山と谷が明確なのです。そしてその最初の山を作った大ヒット曲が『赤道小町ドキッ』だったのです。この曲は山下久美子の6枚目のシングルですが、それ以前の5枚のシングルの最高位は3枚目シングル『恋のミッドナイトD.J.』の67位で、2.8万枚の売上。それが突然の2位・40.8万枚ですから、そのジャンプアップぶりは見事です。そして次の7枚目『マラソン恋女』(82年10月)が最高26位・5.9万枚。8枚目『こっちをお向きよソフィア』(83年7月)が最高32位・6.0万枚と、ともに5万枚を超える実績を残しました。
ところが9枚目から20枚目の間は完全な低迷期に入ってしまい、その間の最高順位は20枚目『微笑みのその前で』(88年5月)の52位、最高売上は11枚目『瞳いっぱいの涙』(85年1月)の1.7万枚と、トップ50に入らず、2万枚にさえ届かない状況だったのです。ところが21枚目『Tonight』(91年3月)が最高10位・売上10.9万枚と久々のトップ10入り&10万枚超えになると、続く22枚目『!BYE BYE』(92年5月)、23枚目『真夜中のルーレット』(92年8月)がともに売上6.1万枚と、5万枚を続けて超えてきたのです。ところが歴史は繰り返すといっていいのか、24枚目以降は再び低迷期に入り、3作連続してこれまた2万枚に届かない売上となるのです。そしてそんな状況から、またまた10万枚を超える売上をあげたのが27枚目『宝石』(94年5月)17.4万枚、28枚目『DRIVE ME CRAZY』(94年10月)15.1万枚の2作でした。
こんな風に1曲ヒットが生まれると、山下久美子の存在が思い出され、続けて買われるのですが、3枚程度で忘れられてしまい、また1曲売れると同じパータンの繰り返し。このあたり、今回じっくり見ていて面白いなと思ったので、触れてみました。
さて『赤道小町ドキッ』に戻ると、前述のように化粧品のCMソングに使われるということもあってか、作詞松本隆、作曲細野晴臣という知名度の高い作家を使い、かなり戦略的に作られた曲だという印象はありました。彼女の舌足らずな独特の歌唱を生かしながら、CMの短い時間の中でインパクトを与えられるフレーズと曲調の夏の歌、そんなところで練りに練って出来上がったのが『赤道小町ドキッ』だったのではないでしょうか。松本隆&細野晴臣という組み合わせでの曲というと、松田聖子『天国のキッス』『ガラスの林檎』『ピンクのモーツァルト』、安田成美『風の谷のナウシカ』、イモ欽トリオ『ハイスクール・ララバイ』などがあり、実はいいコンビネーションだったりもして、この曲も化粧品CMように考え抜かれた歌詞と、YMOの匂いを感じさせるピコピコ感のある音が、絶妙にマッチしているのです。
おそらくこの歌は、化粧品キャンペーンソングということもあって、『赤道小町ドキッ』といった、あるいはそれに類するコピーが一番先だったのではないでしょうか。そのコピーに、歌詞もメロディーも歌唱もCM映像もすべて寄せていったような作り方をしたと考えると、この歌詞が実にしっくりきます。《赤いお陽様が ジリリ焦げてる》《陽炎も色めくよ》《思考回路はショート 燃えつきそうなヒューズ》《恋はアツアツ亜熱帯》《抱けば火傷するかも》などなど、まるで近年の異常気象下での灼熱の夏に、熱中症で朦朧としているなかで歌っているような、徹底して暑さを前面に押し出してきている印象です。そしてここに、山下久美子のやや息切れしているような歌い方が、暑さで息が上がっているような感じにも聞こえ、すべてがマッチしたということで、山下久美子のシンガーとしての人生を大きく変える一曲となったのでした。