80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.57
白いクリスマス JUN SKY WALKER(S)
作詞 KAZYA
作曲 JUNTA
編曲 JUN SKY WALKER(S)
発売 1989年11月
バンドブームの中で人気絶頂をむかえたパンクロックバンドの代表格が、クリスマスシーズンに出した唯一のナンバー1獲得曲
1989年当時の日本の音楽界はバントブーム真っ只中、プロもアマチュアもこぞって、やれライブハウスだ、あれホコテンだ、イカ天だと、とにかくバンド、バンド、バンド…そんな時代。当然のようにオリコンのチャートにも多くのバンドが上位進出を果たし、代わる代わるにヒット曲を放ち、その競争もまた激しい時代でした。音楽のジャンルもいろいろで、新しい音楽も次々に登場。その中でいわゆるパンクロック系バンドの代表核として人気を集めたのが、THE BLUE HEARTSとJUN SKY WALKER(S)でした。そもそもが一部のコアなファンを対象にしていた音楽が、彼らの登場によって、一気に大衆へと広がっていったのが、ちょうどこの時代だったといえるのではないでしょうか。
JUN SKY WALKER(S)はボーカルの宮田和弥を中心とした4人組バンド。1988年5月にアルバム「全部このままで」でメジャーデビューを果たし、同年9月に1stシングル『すてきな夜空』を発売。これがオリコン最高21位と健闘すると、1989年6月の2ndシングル『歩いていこう』がオリコン12位まで上昇。そして11月に発売した3rdシングル『白いクリスマス』で、とうとう初登場1位を獲得したのです。時にバブル絶頂期。クリスマスには高級車でドライブして、高級レストランで食事して、高級ホテルに泊まってという、とにかくお金を使いまくって派手でロマンティックに過ごすことが正しい過ごし方と言わんばかりの風潮の中、クリスマスソングが次々にリリースされたりもしていました。あのJUN SKY WALKER(S)までもクリスマスソングを出したきたのか、これは完全に狙いにいったなと、内心思ったりもしていましたが、その目論見(?)どおり、『白いクリスマス』はJUN SKY WALKER(S)にとって、初のトップテン入りシングル且つ、唯一のナンバー1ソングとなったわけです。ちなみに1989年12月11日付オリコンシングルランキングをみると、
2位小室哲哉『CHRISTMAS CHORUS』
4位JUN SKY WALKER(S)『白いクリスマス』
5位山下達郎『クリスマス・イブ』
7位小田和正『君にMerry Xmas』
と、10曲中4曲がクリスマスソングという極端な状態になっていました。
パンクロックバンドが歌うクリスマスソングとはいったいどんな感じになるのか、タイトルだけを聞いたときは、興味津々ではありましたが、なるほど彼らの個性を生かしながらも、クリスマスらしい、しっとりした曲調になっています。テンポが速くのりの良い曲が多いJUN SKY WALKER(S)(長いので以降ジュンスカにします)のシングルの中では、結果としてやや異質な感じの一曲となったのですが、それが彼らの最大のヒット曲にもなったのです。バンド自体の昇っていく勢いに、この年のクリスマスソング・ブーム、さらに楽曲の魅力が重なって、こういった結果に結びついたのでしょう。ただ彼ら最大のヒット曲ではあっても、彼らを象徴する代表曲かと言われたら、ちょっと違うのかもしれません。
ジュンスカの曲の多くの作詞は宮田和弥が担当していますが、『白いクリスマス』も宮田和弥の作詞です。この曲に限ったことではありませんが、シンプルで飾らない言葉がストレートに伝わってくる歌です。ただ言葉の一つ一つはシンプルなのですが、この曲、詩を読んだだけでは、実はなかなか状況を理解するのが簡単ではありません。“白いクリスマス”と聞くと、雪が降り積もっているクリスマスを当然想像するのですが、《白いクリスマス 透きとおる 今日はクリスマス どしゃぶりの雨もそうさ 白いクリスマス》と繰り返しサビで歌われていて、そう単純ではないことがわかります。このあたり、ありきたりのクリスマスソングとはちょっと違うぜという、パンクロックをやっているプライドとか、ちょっとした反骨心とか、そんなものを想像させるような表現だったのかもしれません。
さて、このヒットの後、『START』(1991年1月)が最高4位、『つめこんだHAPPY』(1991年10月)が最高7位と、2曲のトップ10入りシングルを世に送り出した後、ジュンスカは1997年に解散します。その後再結成され、往年のファンを喜ばせたりもしたようです。