80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.43
太陽がいっぱい 光GENJI
作詞 大江千里
作曲 大江千里
編曲 中村哲
発売 1989年7月
大江千里節さく裂、光GENJI全盛時代を締めくくる、同グループのキャリア2番目のヒットとなるサマーソング
1987年8月に『STAR LIGHT』で華々しくデビューした光GENJI、ローラースケートを履いて颯爽と踊る姿で、世の中の女性たちや子供たちをあっという間に虜にしました。続く2枚目『ガラスの十代』(1987年11月発売)は年末年始にかけてのロングヒットとなり、翌年3枚目のシングル『パラダイス銀河』(1988年3月)で大爆発。発売週としては、当時歴代最大の売上を残し、その数字に我々も驚かされたものです。この年『パラダイス銀河』はオリコン年間でも1位、さらに2位が『ガラスの十代』、3位が4枚目の『Diamondハリケーン』と金銀銅独占みたいな感じで、まさに大旋風を引き起こしたわけです。
光GENJIがそれまでのジャニーズグループと異なったのは、ローラースケートだけでなく、その編成にもあります。まずは7人という当時としては大所帯だったこと。それまでのジャニーズのグループは、ソロでなければ3人か4人というのが定番で、シブがき隊や少年隊は3人、フォーリーブス、The Good-by、男闘呼組(レコードデビュー前でしたが)は4人でした。ところが光GENJIはその倍ぐらいの7人にまで増やしたのです。もうひとつは年齢の幅が広かったことです。最年長の内海光司はデビュー時点で19歳、最年少の佐藤敦啓が14歳直前と5歳も差があったのは、当時としては画期的なこと。まさに今のジャニーズグループの編成の原型となったのが、この光GENJIだったのです。
そんな大人気の中でリリースした7枚目のシングルが『太陽がいっぱい』でした。この曲は光GENJIのシングルとしては初めての夏ソングで、リリースもまさに梅雨明け時期の夏真っ只中。6枚目のシングル『地球を探して』の売上がやや低迷したので、ここは季節感あふれる夏歌で勝負といったところだったのでしょう。作詞と作曲は大江千里を起用しました。光GENJIというと、どうしても飛鳥涼と組んでいるイメージが強く、チャゲ&飛鳥名義も含めて、前述の『STAR LIGHT』『ガラスの十代』『パラダイス銀河』、さらに8枚目『荒野のメガロポリス』、9枚目『Little Birthday』と初期の作品の多くを手掛けてきました。しかしこの『太陽がいっぱい』は夏歌として勝負をかけたかったのでしょう、あまり夏のイメージがない飛鳥涼ではなく、季節感のある歌を得意とする大江千里に曲を依頼したのでした。大江千里が光GENJIのシングル曲を手掛けたのは、後にも先にもこの『太陽がいっぱい』だけです。
案の定といいますか、狙い通りにといいますか、まさにこの『太陽がいっぱい』は大江千里節さく裂といったような、実に彼らしい曲になっています。時期は後になりますが、1994年に大江千里自身のシングルとして発売した『夏の決心』とかなり似ていて、両方を聴き比べると、なるほど大江千里だとはっきりわかります。どちらも夏歌ですし。ちなみに大江千里の他のアーティストへの提供曲としては、松田聖子『Pearl-White Eve』、渡辺美里『夏が来た!』、渡辺満里奈『ちいさなBreakin' my heart』あたりが売れた曲になります。そんなに多くはないですね。
歌詞を見てみると、夏らしい爽やかで前向きな恋愛ソングになっていて、男の子のアイドルが歌うと、ファンからすると、歌っている恋の相手が自分のような気持ちになってしまうのではないでしょうか。《水着をほどいたら 砂がこぼれてく》《くるぶしに光ってる 砂がまぶしいから》あたりは、渚で二人でいる姿を想像させて、ツボを押さえてるなという感じですし、《まぶたのオレンジ 弾ませてごらん》《サンダルにコイン ツキはぼくが選ぶ》などの独特の比喩が、よく分からないけれど夏らしい表現に感じ、このあたりが飛鳥涼ではなくて、大江千里だったのでしょうね。
狙い通りにこの『太陽がいっぱい』は売れました。オリコン1位は計5週、間に2位が2週ありましたので、約2か月の間ヒットチャート上位に居座り続けたことになります。売上枚数も69.3万枚と、『パラダイス銀河』の88.9万枚に次ぐ、光GENJIとして2番目に多い売上を残したのです。しかしながらそれは同時に、光GENJIの全盛時代の最後の輝きとなってしまいます。次の8枚目のシングル以降は、売上が急降下し、『太陽がいっぱい』の半分の30万枚にも届かなくなるのです。オリコン週間トップ10には入ってきますがセールスは増えない、つまりシングルを買うのが固定のファンだけになっていくのです。しかし逆に言えば、この『太陽がいっぱい』までは、固定のファンだけでなく、それ以外の人までを巻き込んでのブームをつくり出していたということにもなるわけで、そういった意味では、やはり光GENJIという存在は、長いジャニーズの歴史の中でも、光り輝く存在であったことには違いないでしょう。