80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.40

 

じゃあね  おニャン子クラブ

作詞 秋元康

作曲 高橋研

編曲 佐藤準

発売 19862

 

 

 

アイドルグループからの脱退を“卒業と呼ぶきっかけとなった、おニャン子本体として最大セールスを残した卒業ソング

 

 19857月に、おませでエッチな女子高生ソング『セーラー服を脱がさないで』でセンセーショナルにデビューしたおニャン子クラブ。デビュー曲は今でもおニャン子クラブを象徴する代表曲になっていますが、2枚目のシングル『およしになってねティーチャー』も同じ路線を引き継いだ話題性のある曲でした。ただこの2曲は、オリコンチャートでは週間最高5位、2位と1位を獲得していません。一方おニャン子クラブからソロデビューを既に果たしていた河合その子や新田恵利は、先に1位を獲得していたのです。そろそろ母体としてもナンバー1ソングを出しておきたいというときにリリースした3枚目のシングルが、この『じゃあね』なのです。

 

 当然のように作詞は引き続き秋元康が担当しますが、詩の内容は前2作からガラッと一変し、さわやかでちょっと悲しい卒業ソングになっています。発売も2月ですから、まさに卒業の時期に卒業の歌を出すという、ど真ん中に直球を放ってきたような曲でした。実はこの曲、初期の人気メンバーのひとり中島美春がおニャン子クラブをやめると同時に、芸能界からも去るということで、彼女をメインに据えた作品となっているのです。芸能界から卒業する中島美春を送る歌として、卒業ソングにかけて作られた曲だったのですね。ですから、彼女の最後の曲だからと思って買った人もいれば、この時期に相応しい卒業ソングだから買ったという人もいたのでしょう、おニャン子クラブ本体として初の1位を獲得しました。そしてセールス面でも『セーラー服を脱がさないで』(24.7万枚)を上回り、28.1万枚を記録、解散するまでの9枚のシングルの中で最も大きな売上を残した曲となったのです。

 

 もうひとつこの曲の残した大きな功績としては、女性アイドルグループを中途で抜けることを、“脱退ではなく、“卒業という言葉で呼ぶようになった、まさにその最初だと思われることです。それまでのアイドルグループは、終わるときはみんな一緒に“解散だったのですが、おニャン子のような大所帯は前例がなく、普通は23人程度でしたので、一人が抜けてグループ本体は継続するということ自体がなかったのです。ただおニャン子のような大所帯になると、途中でやめる人も出てくるでしょうし、やめたところで本体が継続できなくなるわけでもなく、このような脱退や入替が頻繁に行われるようになることは、当然発生しうることでした。でも“脱退だと、どこかマイナスイメージが残ってしまいます。現に初期のおニャン子において、未成年が喫煙をしたということで、何人かが辞めさせられたようなことも起きていますので、円満に辞めていくメンバーとは差別化したいという思いもあったのではないでしょうか。

 

 そこで使われたのが“卒業という表現だったのですね。実際に同時期におニャン子クラブを離れた河合その子とともに、『夕やけニャンニャン』番組内で「卒業式」が執り行われたようです。もともと女子高生の部活のようなコンセプトで始められているおニャン子クラブでしたので、“卒業という表現自体、まったく違和感がなかったということもあったでしょう。以後、アイドルグループをメンバーが辞める時に使われるようになり、特に頻繁に使用するようになったのは、モーニング娘。あたりからになるのでしょう。今では当たり前に使われるようになったアイドルグループからの『卒業』は、まさにここから始まったと言えるのです。

 

 さて歌の内容はというと、実に素直な友達とのお別れソングとなっています。前2作がまるでエッチな歌詞だったのに対し、この作品はエッチどころか、恋愛ごとも描かれておらず、大人からすると安心して聴かせられる、聴いていられる歌だったことしょう。一方おニャン子のファン層の中心となる中高生にしてみても、『セーラー服を脱がさないで』や『およしになってねティーチャー』では家の中で口ずさむにもはばかられたのですが、この曲なら親の前でも鼻歌で歌える内容だったのです。みんな別の道を進むけど、いつまでも友達だよって、特に卒業が重なる中高生(私も実はそうでした)には、かなり共感できる内容でした。しかも難しい言い回しやかっこいい言葉はいっさい使っていない、本当に純粋な歌詞なのですよね。最後の方の《四月になれば 悲しみは キラキラした思い出》では思わずキュンと胸が痛くなりそうにもなったものです。

 

 この後おニャン子クラブは翌1987年の夏で解散、あっという間に駆け抜けて僅か2年ほどでその活動を終えていきます。4枚目以降8枚目のシングルまでオリコン1位を獲得し、ラストシングル『ウェディングドレス』だけは残念ながら2位だったのですが、いずれも作詞は秋元康が手掛けています。ただおニャン子クラブの場合は、グループ本体よりもメンバーのソロ曲に重きを置いていたような節があって、48枚目のシングル曲は、やっつけ仕事とは言いませんが、いい曲を作ろうという感じはあまり伝わらなかったです(私見です)。ただラストシングル『ウェディングドレス』は、メンバーの未来を意識したような、気持ちのこもった曲になっていて、『じゃあね』と並ぶ名曲ではないかと、個人的には思っています。

 

 そしておニャン子クラブ解散後、アイドルは男性(ジャニーズ)だけでなく女性も、グループ中心の時代へと動いていくことになるのです。