80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.38

 

Bye-Byeガール  少女隊

作詞 秋元康

作曲 中崎英也

編曲 佐藤準

発売 19858

 

 

大々的に売出しをかけた女の子3人組がようやくヒットを手にした、キャリア最大セールスの5thシングル 

 

 当時ジャニーズの少年隊はレコードデビュー以前にも関わらず、その人気は高く、いつレコードを発売するのかが待たれている状況でした。そんな中で少年隊の向こうを張って結成され、3億円プロジェクトともいわれた大々的な売出しをかけたのが少女隊でした。少年隊と同じ3人組で、メンバーはミホ、レイコ、チーコ。そのデビューにおける売出し側の力の入れようは、素人目にも金をかけているなあという印象で、デビューアルバムは一流ミュージシャンを集めロサンゼルスでレコーディング、シングル、12インチシングル、ビデオ、アルバムを同時発売するという、まさに事務所の威信をかけたデビューだったのです。「一心同体、少女隊」というキャッチコピーもたびたび耳にすることとなりました。

 

 ところが、デビュー曲FOREVER(19848)2nd『お元気ですか?マイフレンド』(19851)とまったく売れず、ともにオリコン最高位は32位と惨敗に終わりました。アーティスト的な売り出し方が上手くいかずに、これでは資金回収できないと考えたのか、ここで路線変更。作家陣をがらりと入替え、アップテンポなアイドルソングへと転換することで、なんとか事態を好転へと向かわせます。3rd『素直になってダーリン』(19854)4th『渚のダンスパーティー』(19856)はともにオリコン最高14位となり、売上も3万枚台から7万枚台と倍増します。その好転した状況を受けての5thシングルが『Bye-Byeガール』でした。この曲は前2作と同じ路線を踏襲し、作曲は2作と同じ中崎英也、編曲も同様の佐藤準、作詞は『素直になってダーリン』と同じ秋元康が担当ということで、あとは宣伝がかみ合えばさらに上を目指せるのではないか、そんな思惑が見え隠れするシングル曲でありました。

 

 ドラマ『夏・体験物語』の挿入歌というタイアップもつき、これはいけるかいったところでしたが、好事魔多し、ここでメンバーの一人チーコが腰を悪くし、間もなく脱退してしまいます。この曲のレコーディングの時点ではチーコが歌っているようですが、テレビで披露する段階では、すでに新メンバーのトモに入れ替わっていますが、このメンバー変更については、いろいろ裏であったような話も聞きます。それでもこの『Bye-Byeガール』は、少女隊としては最大の売上9.9万枚をあげ、週間最高13位を記録します。テレビのランキング番組でも10位以内に登場し、ようやくヒットしてきたかなという印象を与える曲になったことは確かです。

 

 この3曲に共通する中崎英也は、中村雅俊70年代』のときに触れたように、多くのアイドルに良曲を提供する安定した作曲家で、この少女隊3作はいずれも聴き心地の良いアイドル・ポップスに仕上がっています。詩の内容も女の子のアイドルソングの定番テーマ、少女と大人の間でちょっと背伸びしようとした恋心を歌詞にしていて、このあたりは秋元康の得意とするところでしょう。テレビで軽やかに踊りながら楽しそうに歌う姿と可愛らしい曲がマッチして、彼女たちの雰囲気にもぴったりはまるいい曲だったと思います。まさに路線変更後3部作の集大成的な位置づけとなり、少女隊の代表曲となったのです。

 

 しかし少女隊の全盛期はここでした。新メンバーでの6th『ハレーロマンス』13位・6.4万枚と健闘しましたが、それ以後セールス的には少しずつ下降線をたどっていきます。洋楽の名曲カバーに挑んだり、チャールストンをやったりといろいろ挑戦はしますし、実はなかなかの佳曲が揃っていました。『バランスシート』『ナポレオンのくしゃみ』『チェリームーンで踊らせて』あたりは個人的には好きな曲でもあります。ただ結果として少女隊は、それ以上は売れませんでした。デビュー時の宣伝規模を考えると、プロジェクトとしては失敗といっても過言ではないはずです。それが証拠に、少女隊の所属した事務所ボンド企画は、1992年に倒産してしまうのです。他にも松本伊代、本田美奈子などの人気タレントがいたにも関わらず、です。

 

少女隊があまり売れなかったのは、結局のところ、ルックスだと思っています。そういってしまうと、身も蓋もないですが、アイドルとして売り出すには、正直なところ、やや厳しかったかもしれません。それゆえにアーティスト的な売り出しに賭けたのかもしれませんが、それにしては中途半端という部分もあったでしょう。歌唱力があるわけでもなく、大物アーティストのプロデュースがあるわけでもなく、金はかけたものの、やはり本人たちの魅力や突き抜けた楽曲がないと、音楽一本では難しかったということでしょう。こうしてキャンディーズ以来の女の子3人組のアイドルとしての成功は、企画的なユニット(うしろ髪ひかれ隊、風間三姉妹など)を除くと、この4年後の1989年デビューの3人組まで待つことになるわけです。