80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.35
ユア・マイ・ラヴ 長山洋子
日本語詞 篠原仁志
作曲 C.Hire / G.Rochel
編曲 西平彰
発売 1987年3月
アイドルとして停滞している中でブレイクした前曲の後を受け、二匹目のドジョウを狙ったカバー・ダンス・ナンバー
1984年に『春はSA・RA・SA・RA』でアイドルデビューした長山洋子。NHKのアイドル番組にレギュラー出演したり、本人の露出はある程度あったのですが、セールス的には苦戦していました。オリコンの最高順位は6枚目『雲にのりたい』の35位、売上は『春はSA・RA・SA・RA』の4.8万枚と、いろいろ手を変え品を変えいろんな曲に挑んだのでが、はっきりいってぱっとしませんでした。個人的には4枚目『ゴールドウィンド』(飛鳥涼作詞・作曲)が好きで、夏の浮き浮き感を表現したメロディがなかなかしゃれているのですが、オリコン74位と散々たる結果で残念でした。
そんな中で、1986年にリリースした『ヴィーナス』が突然ジャンプアップの大ヒット、初のオリコン週間10位を達成し、売上も二けた16.0万枚に到達したのです。当時社会は、まさにバブル絶頂期へこれから向かおうとしているところ、若者たちは夜な夜なディスコで踊りまくっていたのです(?)。ユーロビートを中心とするダンス・ミュージックが街中にあふれ、そこに目をつけたたくさんのレコード会社が、ダンス・ミュージックのカバー曲を次々にリリースしていった、そんな時代だったのです。荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』(1985年11月)の成功に始まり、石井明美『CHA-CHA-CHA』(1986年8月)、BaBe『Give Me Up』(1987年2月)、早見優『ハートは戻らない』(1987年3月)、松本典子『KEEP ME HANGIN’ ON』(1987年4月)、森川由加里『SHOW ME』(1987年10月)、真弓倫子『アイ・ハード・ア・ルーマー』(1987年12月)、KAYOCO 『Toy Boy』(1988年1月)、和田加奈子『ラッキー・ラブ~I Should be so Lucky~』(88年5月)、Wink 『愛が止まらない ~Turn it into Love』(88年11月)…。猫も杓子のといった感じで、まさに洋楽ダンス・ミュージックのカバーがひとつのブームだったのです。『ヴィーナス』のヒットは、まさにそんなブームに乗ってのヒットだったと言えるでしょう。
そして『ヴィーナス』のヒットを受けての次の8thシングルが、この『ユア・マイ・ラヴ』でした。この曲も洋楽のカバー曲で、原曲はパティ・ライアン『You're My Love, You're My Life』です。いろいろ挑戦してきた歌謡曲路線では芽が出ず、ブームに乗ってやってみた洋楽カバーでまさかの大ヒット。こんな状況で、再び以前の路線に戻すという冒険などできるはずもなく、お客さんが求めているのが、ダンス・ミュージックであるのなら、再度その線で行こう!というのは、まあ納得はできますね。どうやら日本人にユーロビートは受けるみたい、というのも分かってきた頃でもありましたし。
結果としてこの『ユア・マイ・ラヴ』もそこそこヒットします。オリコン週間8位、売上9.3万枚。長山洋子のキャリアで唯一の一桁順位曲となります。ただ2曲続けて洋楽カバー路線で売れたのは、ブームだから売れた、という単純な理由ばかりではないでしょう。上記に挙げたカバー曲の中でも、売れた曲もあればたいして売れなかった曲もあります。長山洋子の癖のない歌唱が、ダンス・ミュージックにうまく調和したということもあるのではないでしょうか。元々は小さいころから民謡をやっていたということで、歌唱力そのものには定評がありましたが、民謡をやっていたというわりには歌い方は素直で、へんな癖はあまり感じられません。ダンス・ミュージックというものは、曲に合わせてうまく乗れればOKで、むしろ変に歌声が目立ってしまったら、かえって邪魔になるもの。そういったところで、うまく楽曲と歌唱がはまったというところなのでしょう。
日本語詞を担当した篠原仁志は、作詞家として小泉今日子『春風の誘惑』、伊藤さやか『天使と悪魔・ナンパされたい編』あたりが当時の実績で、のちには徳永英明『夢を信じて』がありますが、それ以上にカバー曲の日本語詞をつけた『ヴィーナス』『ダンシング・ヒーロー』の実績が大きかったでしょう。2作続けての採用となり、原詩を生かしながら、日本人に耳なじみの良い言葉を組み立てて、ヒットに結び付けました。『ユア・マイ・ラヴ』は日本語詩そのものがディスコを完全に意識した内容になっていて、もちろん依頼もあったのでしょうが、完全に割り切って作ってきたという印象です。《虹色のDance light》《ミラー・ボールキラめいてる ガラスの夢に まわりだすの》《銀河で踊る トキメキのまま》…当時の六本木当たりの夜の街の光景が浮かんでくるかのようです。この2曲のヒットで、アイドル長山洋子としての路線は固まっていったのです。
その後9~11枚目『悲しき恋人たち』『ハートに火をつけて』『反逆のヒーロー』(これもカバー曲)までが、オリコン週間10位を記録。女優業としても『恋子の毎日』で映画主演も果たしていくことになります。そしてこうした実績を残したうえで、念願の演歌歌手への転身を1993年『蜩』で果たし、紅白歌合戦にも出演と、演歌歌手としても実績を残していったのです。アイドル歌手としても、演歌歌手としても成功し、両方でヒットをとばした稀有な例として、日本歌謡界において長山洋子は異彩を放つ存在なのです。