80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.30

 

フラミンゴinパラダイス  荻野目洋子

作詞 売野雅勇

作曲 NOBODY

編曲 船山基紀

発売 19863

 

 

 

カバー曲でようやくヒット曲に恵まれたアイドルが、人気定着を賭けてブレイク直後にリリースした和製の勝負曲

 

 荻野目洋子の場合、7枚目のシングル『ダンシング・ヒーロー』以前と以後で、明確にその存在感も、曲の路線も異なるものになっています。小学生の頃から「ミルク」というグループでデビュー、ミルク解散後1984年に『未来航海』でソロデビューとなりました。しかしデビュー当初はなかなかシングル曲が売れずに、同期の岡田有希子や菊池桃子がデビューシングルからヒットチャートの上位に食い込んでくるのを尻目に、迷走が続きます。そしてやっとのことでブレイクしたのが、198511月に発売した『ダンシング・ヒーロー』だったのです。1年半、7枚のシングルをかけてのブレイクということで、当時のアイドルとしては、辛抱強く時間をかけて売り出した数少ない例の1人だといえるでしょう。(ブレイクまでにもっと時間がかかったアイドルとしては、石川ひとみがいますが…。)

 

 そのブレイクまでの間、オリコンの週間最高位も20位台、30位台という状況が続き、曲調もいろいろやってみてはダメで、また別の方向でチャレンジしても振るわずの繰り返し。ただ、6枚目のシングル『心のままに』が初めてオリコン16位というところまで上がってきて、実はブレイクの兆しはあったのですよね。

 

デビュー曲『未来航海』、2nd『さよならから始まる物語』は正統派のテンポの良いアイドルソング、3rd『ディセンバー・メモリー』は作曲を井上大輔に依頼し、より売れ線を意識したメロディになっているものの、いずれもインパクトが弱く、ライバルたちの間で埋もれてしまったような印象です。続く4th

『無国籍ロマンス』5th『恋してカリビアン』と今度は異国情緒を打ち出してみたものの不発。ただし『恋してカリビアン』は西武ライオンズの秋山選手の応援歌として使用されるようになります。当時近鉄バファローズのファンだった私は、西武-近鉄戦をよく文化放送のライオンズナイターで聴いていたので、この『恋してカリビアン』は嫌というほど耳にすることになったのです。さて、6th『心のままに』は一転して初のバラード曲で、これがなかなかいい曲に仕上がっていたこともあって、前述のように16位までに上昇し、そこで『ダンシング・ヒーロー』だったのです。

 

 カバー曲であった『ダンシング・ヒーロー』でしたが、のりの良いディスコ・サウンドと、それに合わせた特徴的な振り付けが受けて大ヒットします。楽曲の良さに加え、荻野目洋子のキャラクターや声質と、時代が求めているものが合致することで、世の中に広く受け入れられることになったのでしょう。数10年経過して再びブームがくるほどの楽曲と奇跡的に出会った荻野目洋子、陣営としての次の命題は、荻野目洋子個人の人気を定着させることです。8thシングル『フラミンゴinパラダイス』は、楽曲が良くてたまたま売れた一発屋アイドルか、出す曲出す曲ヒットする人気アイドルになるのか、まさにその命運を賭けた一曲だったわけです。

 

 結果、一発屋で終わるのかという心配は杞憂で終わります。オリコン週間最高7位ということで、2作連続のトップ10入りを果たしたのです。前作がカバー曲でのヒットということに対し、今度は純粋に荻野目洋子のために作られた曲ということで、かなり荻野目陣営にとってはプレッシャーもあったのではないでしょうか。『ダンシング・ヒーロー』がヒットした以上、期待されるのはその路線で、かつての正統派アイドルソングに今さら戻すなどという選択肢は当然なし。ただ日本の作家によるその路線が果たして受けるだろうか、そんな心配も少なからずあったと想像します。そこで選んだ作曲家がNOBODYということで、その意味では納得の選択に思えます。吉川晃司らに提供していたようなダンサブルなロックが狙いというのは明確でした。

 

 作詞の売野雅勇も、その求められている状況を理解して、イメージに合う、踊りたくなるような歌詞をしっかりとつけています。《フラミンゴのピンクの羽根 髪に飾り》《町外れのガレージで歌うの》《並んだバイクの金色のスポットライト》《涙のスパンコール》《チーク踊る Slow Number 歌えないわ》…。大ヒットした前作のイメージを大きく変えないような路線で、手堅く勝負したのが奏功したということでしょう。そして『フラミンゴ1inパラダイス』が上手くいったことで、荻野目洋子の進む路線というものが明確になり、以後しばらくの間、その路線を大きくはみ出すことなく、ヒットを重ねていくことになるのです。

 

 Dance Beatは夜明けまで』『六本木純情派』(『ダンシング・ヒーロー』に次ぐ売上のヒット曲に)『湾岸太陽族』とここまでは全く同じ路線、『さよならの果実たち』『北風のキャロル』と筒美京平の曲で若干の変化はつけたものの、『ストレンジャーtonight』『スターダスト・ドリーム』と、ダンサブル・ロックをベースにした曲群が続き、すべてオリコントップ10入り。次のDEAR~コバルトの彼方へ~』からは、大人のシンガーへの成長を図るべく、それまでとは違った曲調のものに挑んでいきますが、19枚目シングル『ユア・マイ・ライフ』まで、13曲連続でトップ10入りが続き、名実ともにトップアイドルの一人として、時代を駆け抜けていったのでした。