80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.28

 

Strangers Dream  ジャッキー・リン&パラビオン

作詞 売野雅勇

作曲 林哲司

編曲 新川博

発売 19874

 

 

 

大々的に売り出しをかけてヒットした、女性ボーカル版オメガトライブの唯一のシングルレコード

 

 ボーカルのジャッキー・リンは香港人。日本のプロダクションの社長の目に留まりスカウト、万全の準備の上にバンドという形でデビューしたのが1987年でした。このデビュー曲『Strangers Dream』は、作詞は売野雅勇、作曲は林哲司、編曲新川博という当時の売れっ子作家による作品で、さらにテレビドラマ『ジャングル』のテーマ曲としてのタイアップを得るなど、かなり恵まれた形でのデビューとなったわけです。

 

外国人のボーカルバンドということでは、当時1986オメガトライブ(のちにカルロス・トシキ&オメガトライブに改名)がヒットを連発していて、どうもその女性バージョンを狙っていた節がありました。レーベルもともに同じVAP、アレンジも新川博が務めていたということで、デビュー曲で名前を売った後は、オメガトライブのようにヒット曲を連発していきたいという戦略のようなものは、きっと立てていたことでしょう。とにかくタイアップにしても、作家にしても、力が入っていたことには違いないはずです。

 

さらに曲を聴いてみると、これがまた実に1986オメガトライブの世界そのもの! おそらく新川博もそのあたりはかなり意識していたのではないかと思われますが、カルロス・トシキが歌詞を変えて歌っていても、まったく違和感のない音になっていたのです。新川博は1980年代半ば以降、売れっ子の編曲家として、数多くのヒット曲を手掛けており、1986オメガトライブ以外にも、荻野目洋子、池田政典、小川範子、酒井法子、小林麻美、少年隊、田村英里子、中原めいこ、早見優、本田美奈子、薬師丸ひろ子等々旬のアーティスト、アイドルたちのヒットの編曲家として携わってきました。ですから、アレンジの雰囲気を変えようとすれば、そんなことは簡単にできたはずなのに、敢えて似たような音にしてきたということはねやはり「敢えて」だったとしか考えられません。

 

 加えて、ジャッキー・リンのたどたどしい感じの日本語が、またカルロス・トシキと重なるのです。サビでは一部英詩の箇所もありますが、基本は日本語。ただそもそも日本で生活していた人ではないので、日本語を付け焼刃で勉強しても限界があります。ただカルロス・トシキがややたどたどしい日本語の歌を歌ってヒットさせたという前例が出来ていたため、そこは「それが良し」ということだったのでしょうね。詩の内容そのものも、そんなに感情を上手に表現することが求められる世界でもありません。右から左へ抜けていくような、「良い意味で」薄っぺらい詩を、売野雅勇がきちんと職業作詞家として書き上げたものです。このあたりも一連のオメガトライブ(これは杉山清貴&オメガトライブからずっとでしたが)と同様なのですが、基本的には都会やリゾートでのデート、ドライブといったシチュエーションでのBGM的な役割を求められる類の音楽でしたから、なんとなく聴き心地が良ければOKだったのでしょう。むしろ外国人のたどたどしい歌い方の方が、BGMとしては合っているということもいえるのかもしれません。

 

一つ難点を挙げるとすると、ジャッキー・リンの歌唱力でしょうか。歌はお世辞にも上手とはいえず、そんな彼女をボーカルとして前面に出したということは、香港のミスコン2位というルックスありきであることには違いありません。ただアイドルとして売るには、大人っぽい顔立ちや表情だったので、敢えてバンドという形で売り込んだということなのでしょうね。ですから、歌唱力については、正直うーむ、というところは、聴いている側からすると少なからずありました。

 

それでもデビュー曲の売上は好調で、オリコン週間最高は9位、4週にわたりトップ10入りを果たしました。またテレビの音楽番組にも登場し、歌を披露する機会にも恵まれ、キャリアのスタートとしては、順調なスタートかと思われたものです。ところが、ところが、それ以降、ジャッキー・リンはバンドとしても、個人としても日本の音楽界から霧のように消えてしまったのです。そして誰もその存在を忘れ、話題にあがることさえ、あっという間になくなってしまったのでした。どうやら日本の芸能界に合わなかったようで、セカンドシングルの予定もご破算にして、そのまま帰国してしまったようですが、まあ、その後もいろいろあったようですね。それでも、一瞬だけでも日本の音楽チャートに記録を残したわけですから、きっと今では良くも悪くも思い出になっていることでしょう、、、、多分。。。