80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.26
私はピアノ 高田みづえ
作詞 桑田佳祐
作曲 桑田佳祐
編曲 松井忠重
発売 1980年7月
サザンのアルバム曲のカバーで、停滞感から一気に脱出し自身最大のヒットへと結びついた、起死回生の一発
今では歌手としての年月よりも、元大関若嶋津夫人としての年月の方が圧倒的に長くなった高田みづえ。一定の年代以下の若い人たちにとっては、遠い昔に歌手もやっていた相撲部屋のおかみさんというぐらいの認識しかないかもしれません。アイドル歌手として1977年にデビューし、デビュー曲『硝子坂』がいきなりオリコン9位に入るヒットに。その年の新人賞レースにも顔を出し、紅白歌合戦にも出場。4枚目のシングルまで連続してオリコン週間トップ10入りするなど、順調な歌手生活をスタートさせました。ところが1978年の後半からはレコードセールスが不安定になり、1979年には紅白歌合戦にも落選してしまうなど、停滞感が漂ってきました。
そんな状況の中でリリースされたのがこの12枚目のシングル『私はピアノ』です。この曲については、先に同年3月に発売されたサザンオールスターズのアルバム『タイニイ・バブルス』の中で、原由子がボーカルを務めた一曲として収録されていることは知られている話ですが、要するにそれをカバーしたシングルになります。そしてこれが結果として、高田みづえ自身の最大のヒット曲(49万枚)となり、オリコン最高5位、1980年の紅白歌合戦にも復帰し、その後引退まで毎年出場と、まさに起死回生の一発となったわけです。サザンのカバー曲ということでは、1983年に『そんなヒロシに騙されて』もまったく同じように、アルバム『綺麗』収録曲からのカバー・シングルとして発売し、これも久しぶりのオリコントップ10入りの最高6位と大ヒット。高田みづえにとっては、まさに桑田佳祐さまさま、といったところではないでしょうか。
さてこの『私はピアノ』ですが、間奏中などにかけ合いのような遊びのあったサザンバージョンとはアレンジを全く変えて、正攻法な編曲で勝負しています。アルバムの一曲とシングルで出す曲という違いもありますし、『勝手にシンドバッド』を歌えるサザンと、正統派路線を通してきている高田みづえとの戦略的な違いもありますし、それは当然と言えば当然なのですけれどね。ただアレンジと雰囲気を変えたことで、オリジナルよりも癖がない分、より多くの人にとって素直に聴きやすい曲になり、そもそものしゃれた歌詞と琴線に触れるメロディがより生きてきたように思います。実は私自身、この高田みづえ版『私はピアノ』はすべての日本の「流行歌」の中でも、3本の指に入るほどに大好きな曲なのです!
歌詞の内容としては、仲睦まじかった頃のふたりを振りかえって、思い出に酔いしれながら、別れた恋人のことを一人寂しく想う女性の気持ちを描いているものですが、《ラリー・カルトン》《ビリー・ジョエル》などというワードを散りばめてくるところが、実に桑田佳祐らしくて心憎いです。そのワードによって、まるで魔法のように、この曲全体がお洒落でそしてアダルトな雰囲気になってしまうのです。当時アイドル歌手から大人のシンガーへの脱皮を目指していたであろう高田みづえ陣営にとっては、まさにのどから手が出るほど欲しかった曲ではなかったでしょうか。ですから、他の歌い手がカバーすることになっていたのを、無理を言って譲ってもらったというのも、うなずける話ではあります。
おそらくこの曲がなかったら、『そんなヒロシに騙されて』にも繋がらなかったでしょうし、だとすると高田みづえの歌手人生も、違ったものになっていたのも間違いないでしょう。もしかするとそのままジリ貧で終わっていたかもしれません。もっというと、若嶋津と出会うこともなかったかもしれません(勝手な想像ですが…)。しかし『私はピアノ』があったことで『そんなヒロシに騙されて』にも繋がり、ヒット曲を多数持った歌手としての箔がつき、惜しまれつつも人気力士との結婚で引退というストーリーが出来上がったわけです。今でも時折「元歌手の」と紹介されることもあるおかみさんですが、現役歌手時代を知らない世代の人が「では、どんな歌手だったか」とWikipediaか何かで調べた時に、紅白歌合戦7回出場、オリコントップ10入り6曲、シングル売上10万枚以上12枚、30万枚以上3枚という数字をみると、やはり説得力がありますからね。