80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.24

 

六本木心中  アン・ルイス

作詞 湯川れい子

作曲 NOBODY

編曲 伊藤銀次

発売 198410

 

 

大衆的女性ロッカーの草分け的存在による、長い間支持され続けるアゲアゲ感全開のロック・チューン

 

アン・ルイスを今回取り上げるにあたっては、素直に一番有名な曲を選んでみました。もっとも、この曲はオリコンの週間トップ10に届いたことがなく、最高でも12位という順位であり、アン・ルイスすべてのシングルについてみても、トップ10に入ったのは1982年リリースの『ラ・セゾン』一曲のみ。『ラ・セゾン』については、作詞三浦百恵・作曲沢田研二という話題性もあって3位まで昇りつめたのですが、それが最初で最後のトップ10入りだったわけです。しかしながら売上枚数でみると、20万枚を超えた曲が4枚もある(『グッド・バイ・マイ・ラブ』1974年発売、『女はそれを我慢できない』1978年発売、『ラ・セゾン』、そして『六本木心中』)ことから、爆発的な瞬間最大風速はなくても、息が長く支持される歌を歌ってきたシンガーだといえます。

 

この『六本木心中は』はアン・ルイスのシングルでは『ラ・セゾン』に続く2番目に多い売上をあげただけでなく、カラオケで盛り上がる定番曲として、今でも多くの人に親しまれているというところが凄いところです。発売当時の売上の勢いと、あとあと歌い継がれ聴き継がれていくかは必ずしも一致しないということはありますが(西城秀樹『ギャランドウ』などもそうですね)、この曲が瞬間的な売上は弱くても、長く愛されることになったことには、発売当時の時代性よりもむしろ後の時代性に合致したという側面があったのではないでしょうか。

 

アン・ルイスはもともとこういった派手なロックを歌っていた歌手ではなく、むしろアイドルに近い立ち位置で世に出てきた歌い手さんで、その頃の代表曲が『グッド・バイ・マイ・ラブ』なのです。『グッド・バイ・マイ・ラブ』は後に多くの歌手によってカバーされるなど、この曲も後世に歌い継がれているアン・ルイスの代表曲のひとつになりますが、曲のテイストは『六本木心中』とは全く違うもので、むしろフォークソングに近いイメージです。『リンダ』(1980年発売)あたりもそうですね。しかし次第にロックテイストの曲も増えていき、『女はそれを我慢できない』『ラ・セゾン』LUV-YA(1983年発売)を経て、この『六本木心中』で女性ロッカーとしてのアン・ルイスがついに確立されたというところでしょうか。このあとのシングルは、完全にイメージが定着し、『あゝ無情』『天使よ故郷を見よ』『KATANAなど、ロックが主体となっていきます。そのあたりは、起用している作曲家・編曲家をみると明確で、沢田研二作曲の『ラ・セゾン』を境に、それ以前が加瀬邦彦、山下達郎、竹内まりや、松任谷由実・正隆らであったのが、NOBODY、大沢誉志幸、伊藤銀次と、完全に路線が変化しているのです。

 

このように、アン・ルイスが「女性ロック歌手の象徴」としての存在感を強めていくわけなのですが、実は当時に日本音楽界で女性ロックシンガーというものはごくマニアックな存在で、大衆音楽ということでいうと、その地位は確立されたものではありませんでした。ですから、アン・ルイスがよりハードなロック路線を打ち出してきたところで、受け入れる側のキャパシティも、実はそれほど大きいものではなく、発売時に瞬間的な大ヒットとならなかったのはそういう状況もあったのではないかと思うわけです。しかしその後じわじわと浸透していくことで、売上枚数も少しずつ重ねていき、さらに年数が経過するうちに、浜田麻里とかSHOW-YAとか、あとに続く女性ロッカーが増え、『六本木心中』いいじゃん!と遡って受けいれられていったのではないでしょうか。少し時代が早すぎて、受け入れる土壌を耕すのに多少時間がかかったということが一つあったのでは、そう考えるわけです

 

そしてもう一つあるのは、カラオケ人口の拡大です。カラオケボックスが広がり始めたのが1980年代の終盤であり、発売当時のカラオケは、主にカラオケバーやスナックで歌うものでした。ですから歌うのは酒の入ったサラリーマンが中心で、歌う曲も演歌や歌謡曲がカラオケ人気の中心でした。しかし、カラオケを楽しむ人口が、酒の場以外に広がっていき、子供からお年寄りまで楽しむ国民的娯楽になっていくと、『六本木心中』がカラオケで歌うとかなり盛り上がるということが次第に浸透していき、合いの手が生み出されていったりして、定番となっていったのです。その意味でも、『六本木心中』は少し発売が早すぎたということがいえるのではないでしょうか。

 

さてこの『六本木心中』ですが、詩も曲も音もそして歌っている本人もとにかく派手。もともとハーフですから、ビジュアル自体が特に当時の日本では人目を惹きやすいアン・ルイスでしたが、そこに曲が追い付いてきたといった感じでしないでしょうか。歌っているうちに気分が高揚してくるような、当時こんな表現はありませんでしたが、いわゆるアゲアゲの曲だったのです。作詞は湯川れい子。どこか男を挑発しているようでもあり、弱さもちらりと覗かせるような絶妙な詩は、女性作詞家ならではのような気がします。そして作曲はNOBODYで、当時多くのアーティストに曲を提供している(浅香唯C-Girl』『セシル』、荻野目洋子『フラミンゴinパラダイス』『Dance Beatは夜明けまで』、吉川晃司『モニカ』『You Gotta Chance、光GENJI『奇跡の女神』、など)旬なユニットでしたが、ことにアン・ルイスに対しては、激しいロックを提供していました。そんな力が集結しての『六本木心中』は、見事に彼女の代表曲として残っていったわけです。

 

その後も大衆的な人気を得た女性ロッカーの草分け的存在としてしばらく活躍を続けましたが、米国に在住したりと休業状態が長くなり、2013年をもってきれいに芸能界から引退をしました。