80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.18
TIME ZONE 男闘呼組
作詞 大津あきら
作曲 Marc Davis
編曲 Marc Davis
発売 1989年2月
80年代終盤を闊歩したジャニーズ的硬派ロックバンドのカッコいい3rdシングル
たのきん、シブがきの後、1980年代後半にデビューしたジャニーズグループには、何らかの武器を持たせるようになっていた傾向があります。少年隊は圧倒的なダンスパフォーマンス、男闘呼組は楽器、光GENJIはローラースケートという具合で、逆にその後のSMAPがデビュー当初苦労したのは、こういったインパクトのある武器を備えていなかったからだともいえるかもしれません。楽器を持ったジャニーズグループは何も男闘呼組が最初ではなく、野村義男率いるTHE GOOD-BYEがあったわけですが、ギター好きの野村義男をなんとかデビューさせたいけれど、トシちゃんやマッチのようなソロは厳しいだろうということで、あと付けでバンドの体を整えたTHE GOOD-BYEとはまた違った意味合いでのデビューでした。後にもTOKIOのように、バンド形式でデビューしたジャニーズもいますが、歴代のジャニーズグループの中でも、この男闘呼組はかなり異色の存在といえるでしょう。
デビュー曲の『DAYBREAK』『秋』と楽曲も、従来のジャニーズアイドルの曲とは全く印象が異なり、で硬派なハードロック路線で攻めてきていて、この3枚目の『TIME ZONE』も基本的にその路線上にある曲となっています。作詞と作曲は3曲すべて大津あきら&Marc Davis(馬飼野康二の別名)のプロの作家コンビですが、敢えてMarc Davisの別名を作曲者名に使っていたことから、このあたり知らない人にしてみると、外国の作曲家がわざわざ男闘呼組のために作ってくれたような感じでとらえてくれたらいいな的な戦略が見え隠れします。6枚目のシングル以降はメンバーの作った楽曲が採用されていくのですが、それまでの道筋を作ったのはこの2人といっていいでしょう。
また当時のジャニーズの場合、デビュー前に既に顔や名前が売られていて、満を持してのデビューという形が多かったため、デビュー曲が売上面でのキャリアハイというケースが非常に多いです。田原俊彦『哀愁でいと』、近藤真彦『スニーカーぶる~す』、少年隊『仮面舞踏会』どれもそうです(シブがき隊だけ3枚目がキャリアハイでしたが)。男闘呼組もそんなジャニーズの慣習(?)どおり、デビュー曲『DAYBREAK』がキャリアハイの売上で、当然オリコン1位を獲得。これで前途洋洋かと思われたのですが、その後は、シングルを出すたびに売上が低下していくのです。しかも、一度もリバウンドすることなく見事な斜めの下降線を描いていて、他のジャニーズはどこかにその後の代表曲となるような曲で反撃に出る時期があるのですが、男闘呼組にはそれがありませんでした。このハードロック路線から生真面目にもはみ出すことがなかったことが、早く飽きられる原因だったのかもしれません。或いはファンに媚びない硬派な雰囲気が、幅広く受け入れられなかったのでしょうか。
それでも、4枚目のシングル曲まではオリコン1位を獲得していて、この『TIME ZONE』も初登場1位を獲得しています。また男闘呼組としては貴重なCMタイアップもついていた曲なので、実は一番耳にすることが多かった曲がこの3枚目のシングルだったのです。そのセイコーのCMには彼ら自身も起用されていて、なかなかかっこよくて印象的な映像に仕上がっていたのを覚えています。当時のTVCMの力は今よりずっと大きく、この曲はもっとヒットするのではないかとも思っていたのですが、2枚目のシングル『秋』にも及びませんでした。個人的には男闘呼組の中では一番好きなシングル曲ですし、カラオケなどでもわりと歌いやすい曲なのではないでしょうか。
この曲はやはり歌詞の中でたびたび繰り返される『TIME ZONE』のフレーズにつきます。Aメロで1回、サビで2回、それを1番、2番と繰り返した後で、終わりの部分でまた2回。タイアップがセイコーですから、時間と掛け合わせての『TIME ZONE』ということなのでしょうし、それを連呼するのもCM曲であることを意識してのこと、というのもありそうです。では『TIME ZONE』って?と考えた時に、日本語で「時間帯」とか「標準時間帯」と訳すことになるのですが、時計のCMから考えると納得はできるのですが、歌詞をみた時に《胸に愛を刻むぜ WOW WOW It’s時間帯》《WOW WOW 時間帯 今を突き抜けて確かめろ》って、どういうこと? となってしまうのです。まあ、要するに雰囲気ですね。この詩自体は内容の薄い、カッコだけの詩ですからね。夢のためにお前と別れるけど、でも二人の愛だけはずっと変わらないよ的な…。もしかすると男闘呼組がわりと短命だった一因って、歌詞に面白味がなかったこともあるのかなって思ったりもします。
その後前述のように4枚目のシングルまではオリコン1位、5枚目、6枚目はそれでも2位を獲得していましたが、約1年半開いた7枚目ではトップ20位にも入れないほどに低下。後輩たちに人気は移ってしまい、1993年で事実上の解散に至ったわけです。ただ面白いのはむしろその後のメンバーのキャリアで、実に四者四様なのです。岡本健一はその後もジャニーズ事務所に残り、舞台を主戦場に活躍。今ではむしろ息子さんがHey! Say! JUMPとして活躍していることが話題になることが多いですね。高橋一也はジャニーズを退所、高橋和也と字を変えて、数々の映画やドラマのパイプレイヤーとして安定した活躍を続けています。作品に出ている彼を見ても、一定以下の年齢の方には、かつてジャニーズのバリバリのアイドルだったことを知らない人も多いのではないでしょうか。前田耕陽は一時期タレントとして結構露出はありましたし、中村由真との結婚・離婚などでワイドショーを賑わせたこともありましたが、最近はテレビなどで見かけることは減ってきているかなという印象です。そしては成田昭次ですが、大麻所持で逮捕されたあと、表舞台には立てていません。せつない…。