80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.16

 

もっとHurry Up! 姫乃樹リカ

作詞 松井五郎

作曲 松田良

編曲 萩田光雄

発売 19887

 

 

 

アイドル冬の時代に埋もれてしまった歌うま正統派アイドルの、ど真ん中直球の元気印アイドルソング

 

 姫乃樹リカは19882月に16歳でアイドルデビューしています。デビュー曲『硝子のキッス』は松本隆、和泉常寛、萩田光雄らの売れっ子が作品に携わり、映画『めぞん一刻 完結篇』主題歌というタイアップまでついて、明るく聴き心地の良いアイドルらしい歌になっていましたが、オリコン週間チャートでは21位という今一つの結果に。2枚目『ときめいて』は一転したバラードでしたが、16位と順位はあげたものの、トップ10入りはならず。そこで明るい曲調に戻し、さらにデビュー曲よりもテンポが良く元気な歌でということでリリースした3枚目のシングルがこの『もっと Huppy Up!』でした。

 

 この姫乃樹リカは、当時の新人アイドルとしては歌がかなり上手で、特に音程の安定感は抜群でした。さらには当時たくさんのアイドルを輩出したモモコクラブ(出身者に西村知美、酒井法子、島田奈美など)出身ということで、バックも強力。ルックスも16歳としてはやや童顔でしたが、アイドルらしく可愛く顔立ちで、しかも明るくはきはきしたキャラクターということで、当然のように売れるだろうと印象は持っていました。

 

この『もっと Huppy Up!』の作詞は、当時安全地帯でヒット曲を連発していた松井五郎が担当。作曲の松田良もアイドル中心に曲を提供していた作曲家で、堀ちえみ『リボン』、高橋真梨子『遥かな人へ』あたりが有名。実績のある作家陣を迎えて、本人のキャラクターにも一番合致した、ど真ん中直球の元気系アイドルソングで勝負をかけたというところではないでしょうか。

 

歌詞はというと、実にアイドルアイドルした曲でして、《ポニーテールのそよ風 ちょっとピンクなルージュで》と、歌い出しからいきなりぶりぶりの可愛いワードの連発。片想い中の彼に対し、待つだけじゃなくてもっと積極的にならなくちゃ、と自分にはっぱをかけるような内容も、アイドルソングの定番中の定番のテーマ。サビについても、聴き手に強く印象付けるような《もっとHurry Up Hurry Up Hurry Up Love》とタイトルでもあるフレーズを連呼。押さえるところをきちんと押さえたものになっていた、3枚目でそろそろジャンプアップを図りたいという意図が十分伝わる作品に仕上がっていたのです。

 

しかしながら、結局のところ、この曲の最高順位は24位と、期待通りの成績にはならなかったのです。顔も可愛い、歌も上手、性格も明るい、話題性もある…というのに売れない苦しさ。一つ背景としてあるのは、1987年という時代が、アイドルとしてはかなり厳しい時代であったことは確かです。おニャン子クラブの終焉とともにアイドルブームが終息し、変わってバンドブームが到来しつつある中、この年デビューした女性アイドルの中で、アイドル歌手としてある程度成功したのはWinkと西田ひかる、なんとか加えても生稲晃子ぐらいでしょうか。もちろん女優やタレントなどの別の道で成功した方はいらっしゃるのですが、正統派アイドル自体が飽きられていたということはあるかもしれません。実際成功したWinkにしても、楽曲の良さが先行して認知された結果ですし、西田ひかるが初めてオリコンチャートのトップ10に入ったのは1991年になってのこと。特に正統派で売ろうとしていた姫乃樹リカも、もしかしてあと23年早ければ、結果は違ったものになっていたかもしれません。

 

あともう一つあるとすれば、彼女の歌唱力を周りが逆にもてあましてしまったようなところもあったのかもしれません。歌は上手だけれども、声質自体は幼く、歌と声、そしてルックスがどこかアンバランスで、どう生かしていいのか分からなかったのではないでしょうか。普通に可愛い歌を歌っても、歌が上手なせいで、守ってあげたくなるような儚さが出てこない。かといって大人の歌を歌わせるには、声と顔が幼すぎる。この後も、いろいろ歌唱力を生かした活動をいろいろと模索していたようではありますが、バンドブーム全盛の中では、なかなか活路を見いだせなかったようで、音楽チャートを賑わすようなこともなく、やがて米国人と結婚し、別の幸せをつかんだようです。

 

それでも近年、テレビの「あの人は今」的な企画や、西村知美のブログなどで、今の元気な姿がメディア等に紹介されることもちょくちょくあるようで、日本でライブも開催されたみたいです。