ゆるぎない自信とは | シンプルに生きる ~タオと日本語と脳科学~

わたしには、自分に自信があった

 

一方で、自身がなかった。

 

○○には自信があるけど、△△には自信がない、

 

という言い方もできるけど、同じことに関しても、

 

イケてるな、と思ったり、自分よりすごい人をみれば(ほとんど

 

すだが^^;)ダメだなーとおもったり、、、

 

それでも、自分に対して、自身がないと、この世の中やっていけ

 

ないので、小さな目標を達成して見たりしては、自信バロメータ

 

ーがゼロにならないようにする。

 

時に、自分よりイケていない人をみて安心したり^^;

 

昔昔の自慢をいつまでもしてしまうというのも、自己防衛だろ

 

う。

 

こういう自信っていうのは、ゆらゆら、ぐらぐら

 

まったくあてにならないものだ。

 

どんなに経験をつんで、強化したり、知識をためて武装しても、

 

これは変わらないのではないか。

 

自信という概念をこえたところ、いや、その概念が生まれる前の

 

意識、分離していない状態に意識をおくことが、

 

あえて言葉にすると、ゆるぎない自信がある状態であり、

 

もっと一般的な言葉でいうと、根拠がない自信とでいうのだろう

 

か、、、って、やっぱ言葉にする時点で、やはり大切なエッセン

 

スを失ってしまう。

 

ところで、こういう二字熟語の言葉は、明治時代より

 

さかんに輸入された言葉だけど、

 

これにぴったりする日本語はなく、先人たちは、日本語を創造す

 

るのが大変だっと思う。例えば、ネイチャーというのは、自然と

 

訳されるが、もともと日本には、じねん自然ということばがあっ

 

たので、無理くり?つくったと聞いたことがある。

 

西欧のコントラストのはっきりした文明は、アトランティス由来

 

であり、現代はとくに、グノーシス主義がベースになっていると

 

いう。 原罪というのも、そこからくる誤訳であり、(陰謀論て

 

きには、大衆コントロールのための、教会の戦略だが)

 

やはり、ない、たりない、状態から、どうしても、満たそうとし

 

たり、あろう、得ようとする

 

エネルギーが強くなる。きれいに表現すると、

 

崖から突き落として、這い上がってこい!お前にはその力がある

 

のだー!というライオン的父性愛か。

 

包み込む母性愛の日本の風土とはちょっと違う。

 

話をもどすして、概念である言葉に踊らされている昨今ですが、

 

概念というのは、まったくの無からうまれるものでもない。

 

空想、創造することで、感覚として確かにあるものだ。

 

自由、平等、博愛 というユダヤワードも、

 

迫害されていた民族だからこそ、他者と比べることによって、

 

自分たちがないもの、ないから得ようとするものがはっきりと浮

 

かんできて、銘銘したのだ。

 

とある南の島で、スピードワゴンの井戸田さんが、

 

こんな(生活で?)暇じゃないですか?

 

という質問を、通訳者が訳せなかったのも、そうだろう。

 

昨今、カタカムナやホツマツタヱや 古代つかわれていたであろ

 

う言葉とくくれないであろう言葉も、現代風に学習してしまう

 

と、本来の響きが失われ、その作用がはたらかないのかもしれな

 

い。(母音をのばすことがカギらしいが。)

 

同じように、○○という状態なら、何Hzを聞くとよい、

 

というような情報も、現代の西洋医学、ロックフェラーの石油ベ

 

ースの”医療”というかビジネス。そこにおいて医者の役割は○○

 

である、とする”医療”のあやしさに気が付いた人達の間で人気が

 

あるが、ともすると、”頭痛にはバファリン”を水平移動しただけ

 

対処療法になっているだけなような。。。

 

もっとも、 自然法則にあった、副作用のものを使うことで、

 

本来人間がもっている機能が動き出す可能性もあることを考える

 

と、雲泥の差である。ただ、それがないと、、、という状態にし

 

てしまっては、依存という意味で同じようなものであり、

 

大麻が今後解禁されても、同じである。

 

大麻が解禁されないのは、陰謀じゃないと思っている。

 

フリーエネルギーもそうだが、人間の意識がかわらないまま、強

 

力なものを使うのは、諸刃の剣で、致命的にもなるのだ。

 

私自身、意識がかわらないまま、犠牲者のルサンチマン的状態

 

で、スピリチュアルマニアになったり、健康オタクになったの

 

で、いくらあってもおかねが足りないくらいだった。

 

それは、書籍もおなじだ。

 

メルカリをやっていて、よくわかる。アイドルオタグッズもそう

 

だが、スピリチュアル系は、高値でもばんばんうれる^^;

 

自分の人生を他人の世界の中で展開しているうちは、どうしても

 

そうなる。 私たち信者のおかげで、スピリーダーたちは、

 

”好きなことをして稼いでる”わけだ。

 

これは批判じゃなく、事実だろう。

 

かといって、お金を取らない、清貧のスピならいいかというと、

 

そういうことでもない。信者の意識は同じだ。

 

 

自分の人生をとりもどすには、こういう依存に終止符をうつこと

 

になるが、それも自分のタイミングだし、助けや援助をか

 

りること自体が依存なわけでもない。 

 

やはり、言葉にすると難しい。