わからないものは、わからないままにしておく | シンプルに生きる ~タオと日本語と脳科学~

波流風さんを引用させていただくと、

 

”世界中が一気にきな臭くなっている2024年ですが、今の私は「日本・日本人・日本語」で盛り上がり、民族主義を盛り上げるYouTuberやスピリチャリストに対して、猜疑心Max状態です(笑)。”

 

わたしも、激しく同意します。

 

ピュアな意図で始めたとしても、、、人間は弱いもの、つまり

 

次元外の存在の影響を受けやすいものであり、同時に人間のエゴ

 

(大元とつながっていなくて(つながりを感じなくて)わたしと

 

いう独立した個人をつよめる意識)と相まって、

 

その意図がいつのまにかズレてしまい、的外れになる、というこ

 

とはよくあります。

 

特に、裏方だった人が光を浴びるようになると、ちょっと興奮す

 

るじゃないですか。俺の時代がきたーみたいな

 

同時に、彼らが、いい者 OR 悪い者、とゴレンジャー思考に

 

なって、?水戸黄門思考になって、悪者対峙して一件落着、

 

と考えるのは、もってのほかです。

 

わたしは、日ユ同祖論にも、眉唾です。

 

一部は来たでしょうが、それはどこも同じ、それに、東を目指せ

 

=精神性を目指せ、という意味でも、流れてきたことは間違いな

 

い。

 

ただ、支配層というのは、ほんとうに頭がよくて、ありとあらゆ

 

る力を使うので、情報をもっているし、大衆のように衣食住にこ

 

まることはないので、ちょいと意識が上の次元にいるような感じ

 

なんですよね。ですから手を下すのは、下っ端の人です。認めら

 

れたいという大衆と同じメンタルの人だとおもいます。

 

そういう人たちの日本のっとりの都合のいいセオリーとして使われていると思うんです。

 

現に、日本人は金の民族で~と神の国だーといってナショナリズ

 

ムをあおって戦争参加の流れをつくったのが、

 

神社、スピリチュアルでしたから。

 

私の記憶が正しければ、アカシックリーディングをするゲリーさ

 

んも、失われた10氏族が来たという話は、事実じゃなくアナロ

 

ジーとしていっていた。

 

南朝が悪なのか、北朝は偽なのか、ヤタガラスは善なのか、

 

陸軍が悪なのか、、、、それぞれの研究家がどこかの情報源につ

 

ながって発信しているわけで、そこにどんな思惑があるかは

 

庶民のしるところではありません。

 

だれのカタカムナ解説がただしいのか、も同じ。

 

わからないものは、わからないままおいておく、それで日常をい

 

きることがおろそかになっては、それこそが思うつぼなのです。

 

 

ドラマからでるには、抽象度をあげて、理系の人達がお得意の、

 

エネルギーのダイナミクスを見ていくといいと思う。

 

たとえば、神話にしても、登場人物の感情に同調して小説のよう

 

に楽しむのもありだけど、それは、伝わりやすい陽にナラティブ

 

になっているだけで、所詮はえなるぎーの力動です。

 

わたしたちの喜怒哀楽が、たんに、脳の神経伝達物質がながれる

 

かどうかという、味気ないもののように、、、

 

 

たとえば、日本軍の、海軍、陸軍の対立というのは、

 

抽象度をあげると、シーパワー、ランドパワーのことですが、

 

海 拡大していく力 と 陸  管理、コントロール、制御す

 

る力。 物理現象界では、自由貿易、と農耕 とも言われます。

 

本来、A かBかの二項対立でなく、両輪で存在するものであ

 

り、どちらかが死ねば両方死ぬわけです。現象界としては、

 

Aが優勢なとき、Bが優勢な時というのが、濃淡であると思いま

 

す。もっというと、裏が表で、表が裏になる時代の過渡期がいま

 

です。

 

経済でいうと、本来なら、蛇口を緩めたり、閉めたりすること

 

で、お金の流通を、インフレがおきないよう、上手にコントロー

 

ルすることが大事なように、人体がホメオスタシスが働き、一定

 

に保てるようにますが、やはりそれすら大きなぶれがないと、水

 

が濁るようになってしまう。安定が死を意味するのはこのことだ

 

と思います。

 

△のもつ力をつかって、富を吸い上げ、末端が枯渇させようとし

 

ているのが今でしょうか。太らせて食う最終段階なようです。

 

ではなすすべなしなのか、、、

 

壊れゆく社会にしがみついてもしょうがない。

 

人工的につくった社会はいずれ壊れるように、壊す目的でデザイ

 

ンされている。大衆より圧倒的に情報をもっているのです。

 

わたしたちは、社会で生き残ることを考えるよりも、

 

人間として地球でうまれ、育ち、行き、後世にバトンをわたし

 

て、還る=死ぬという本来の生き方を

 

取り戻す時期だと思います。

 

そのためになにをするかという目的志向をもつと、学校教育の延

 

長になってしまいますから、

 

ひとりひとりが、奥底で感じ考えるということが

 

何にもまして大事だと言えそうです。

 

だれについていけば安泰か

 

だれの情報が正しいか

 

サブスクにはいって安心している場合じゃないのです。

 

スピリチュアルはビジネス化していますので、

 

そんなものにサブスクしても、

 

みせかけの平安やなんちゃっての目覚めで

 

自己陶酔するのがおちでしょう。

 

どこかで、犠牲感、被害者意識、というのを昇華させることが

 

必要な気がします。

 

人類は、この社会をご破算にしてほしい、とおもっているように

 

想います。なぜなら、不平不満をもつのが圧倒的に多いから。

 

変わってほしい、もういやだ

 

変わってほしくない、怖いから

 

こういう矛盾をのりこえていくというのが

 

地球を人間としていきる醍醐味なのかもしれません。

 

人類は、なんて大げさなことをかいたけど、

 

あくまで、わたしの認識世界の話です