安房国一之宮

館山市洲崎

洲崎神社

■ 御祭神
天比理乃咩命
■ 御由緒(同社HPより
神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部族を率いて房総半島を開拓され、忌部族の総祖神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社です。平安時代の延喜式神名帳に式内大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。
鎌倉時代の治承4年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参詣し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神殿を当社に寄進されました。以降関東武士の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌は、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前進と伝えられており、東京湾をはさみ湾の西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎藤する神社があります。
江戸時代後期の文化9年(1797)、房総の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主松平定信は当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。
---------------さて、参拝---------------
 
〈2018.6.17〉
護念山證誠寺→八劔八幡神社→人見神社→普和山最上寺(関東36-32→東京湾観音→ 鶴峰八幡神社→普門院船形山大福寺→諏訪神社→鶴谷八幡宮→洲崎神社→安房神社→妙高山大聖院高塚不動尊(関東36-33
 
 
■ 鳥居

神社らしい神社

真っ直ぐ続く参道の両脇に新緑
 
と、まぁ、ここまでは笑顔
 
 
 
 
 
■ 手水舎
 
 
 
■ 社殿への階段
 
これか…

噂に聞いていた階段は…

なっが…(汗)
 
 
 
 
 
階段、急です…

長いです…
 
148段あるとの忠告書き(苦笑)
 
 
 汗かきながら登り

ふと振り返ると

それはそれは 絶景!
 
 
 
■ 社殿
 
ここまで上がってくると
さすがに膝が笑います
 
 
 
 
■ 御朱印