「時間とは何か」を踏まえて「ゴールが認識を作る」プリンシプルについて | オズの魔法使いのコーチング「Et verbum caro factum est]

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「ゴールが認識を作る」プリンシプルについて、「時間とは何か」を踏まえて、そのからくりを考察します。


まず「時間」について
相対論以降の現代物理学では、「時間」とは4次元時空間における座標軸の一つと見なされます。
座標軸ですよ。座標軸。
これが意味するところは、時間座標1(例えば現在)と時間座標2(特定の未来)は同時に存在していることになります。ちょうど、空間座標1(東京)と空間座標2(ニューヨーク)が同時に存在しているのと同じことです。
空間座標を移動することで違う世界に行くのであって、周辺環境が東京からニューヨークに変身するのではありません。同様に、時間座標を移動することで別世界に行くのであり、現在が未来に変身するのではありません。


移動している自覚(意識)は無くて当然です。空間を移動しても大多数の人は気づかないので。地球は自転と公転をしています。太陽系も銀河系外周を物凄い速度で移動しています。我々は宇宙空間を物凄い速度で複雑に移動しているのも係わらず、誰も気に留めません。日常感覚で自覚可能な、周囲との関係性を保って皆で一緒に移動しているので気づけないのです。時間軸の移動も同じことで、移動している自覚(意識)がないのです。


時間座標としての「未来」は別世界として既にあるのです。ただし未来に何が起きるかは未確定です。つまり未来は可能性世界の無数の分枝として既にあるのです。
我々が時間座標1から時間座標2に移動することで、時間座標2の世界が観測可能となり、可能性の分枝から一つが選択され確定します。そして我々が時間座標3に移動すると、確定した時間座標2の世界は「過去」と呼ばれるようになります。


次に時間の概念の起源について考えます
時間の概念の起源は脳内プライミング現象にあるとされています。脳内プライミング現象とは、将来の行為に対し予め報償系回路が作動することです。種の保存を目的とするプライミング現象は、原始的な生物から持っています。
どういうことか
時間座標2で捕食なり交尾なり種にとって有益なことしようとすると、なんと先回りして時間座標1から脳内報償系回路が働き、ドパミン等神経伝達物質が分泌され気持ちよくなってしまうのです。
これは凄いことです。


時間と空間は同じものなので、空間の例をとります。空間座標2(ニューヨーク)での選択に対し、空間座標1(東京)で嬉しくなってしまうのです。座標が違えば本来は別世界で無関係のはずです。ところが空間座標1と空間座標2の双方を包摂する、一段抽象化された新座標(大きな空間単位)に拠れば同じ世界と見なせます。東京での出来事もニューヨークでの出来事も、同じ地球上の出来事と思えた場合です。


プライミング現象も同様に抽象化で理解できます。
時間座標1と時間座標2を包摂する、一段抽象化された新座標(大きな時間単位)に拠れば、交尾するのも「今」、報償系が働くのも「今」となります。それを抽象度を下げて小さな時間単位で観測して具体的に確定すれば、時間的前後関係として認められるの現象があるのです。


小さな時間単位での前後関係で、気持ちよくなったから(因)、交尾した(果)と解釈すると論理が破綻します。時間座標1と時間座標2は別世界であるからです。
大きな時間単位に拠って可能性世界の分枝を選択したから(因)報償系が働き(果)、時間座標1から気持ちよくなり(果1)かつ時間座標2で交尾した(果2)のです。因果関係は抽象度の一段高い世界にあります。


では時間単位と、そして「今」は何でしょうか
時間には最小単位があります。1プランク時間、5.4×10マイナス44乗秒。
最小単位以下では連続性がなく、最小単位で断絶されています。どんな時間単位も最小単位である1プランク時間の整数倍となります。離散的に断絶された最小単位を集めた部分集合が時間単位なのです。1秒間も1時間も1億年間も、離散的なプランク時間を集めた部分集合であるという観点からは同じものです。つまり時間単位に絶対的な意義はなく、抽象的な便宜上の単位ということになります。


ここで認知科学以降のリアリティーの定義を思い出して下さい。
認知科学以前では日常感覚で体感可能な体験をリアリティーと呼んでいました。認知科学以降は「臨場感のある世界」こそがリアリティーと考えられるようになりました。
1秒を時間単位とする世界に臨場感があるから、今の1秒間がリアリティーのある「今」となります。1秒とは絶対的な単位でなく、離散的なプランク時間の抽象化された部分集合であるからです。


100年や1万年単位の抽象世界に臨場感を持ち得るなら、100年間や1万年間がリアリティーのある「今」となります。さらに抽象化された136億年の宇宙史の視点からすれば、100年間や1万年間はほんの一瞬に過ぎません。


機能脳科学の知見を加えると、より明確に理解できます
脳は、目の前の世界をそのままの一塊りとして、認識はしていません。必ずバラバラの情報に分解して処理してから、前頭葉でリアルタイムに再統合して認識します。視覚情報を例に取れば、色、形、輪郭、速度、方向など分解して再統合します。
そして再統合する情報のほとんどは側頭葉に記憶として保存されているバラバラの情報を利用します。既存の情報でも組み合わせ次第で、無限の情報状態が再合成されます。三原色の組み合わせから無限の色彩が生み出される様にです。


現実の認識も、過去を思い出すことも、未来を想像することも同じことです。認識する、思い出す、想像する、その瞬間に記憶の中にあるバラバラの情報がリアルタイムに再統合されます。現在、過去、未来も全て、「今」この瞬間にリアルタイムに再統合され、瞬間毎に更新される脳内情報状態です。
136億年前のビックバンを考えているのも「今」の再統合、1000年後の人類の未来を創造するのも「今」の再統合、1秒前や1秒後に身体に起きることを認識・予想することも「今」の再統合です。再統合される情報状態の内容が、四次元時空間座標のどこに臨場感を持つかの違いであって、再統合されるのは「今」この瞬間の脳内なのです。



有限の脳の情報処理能力を考えると、無限の組み合わせを全て検討することは不可能です。必ず枠組み(フレーム)を、しかも大枠から詳細を瞬時に決定していく枠組みが必要です。逆向きに細部を積み上げていくのでは、瞬間毎の再統合に間に合いません。
認知は大枠から詳細へ、総論から各論へ、抽象から具体へと生じていくといえます。大きな時間単位の「今」の枠内で、小さな時間単位での「今」が整合的に決定されます。ある時間座標での観測・確定に決定的な影響を与えるのは、その時間座標での大枠の選択であり、以前の座標(過去)での観測結果はどうでもいいのです。


次の瞬間の再統合に大枠から変わると、脳内情報状態(脳内宇宙)は一瞬にして全く違う宇宙に豹変してしまいます。しかし大枠が次の瞬間にコピーされると、その詳細の変化は枠内に限定されるため、連続性が保たれているようにも見えます。瞬間毎に生まれ変わっていながらも、連続性があるので同じ宇宙と見なせるのです。
プライミング現象は、可能性世界の分枝の選択が瞬間毎にコピーされているため、その枠組みの中で整合的に、時間的前後関係として認められる現象が出現するのです。


ここまで見てくると、「ゴールが認識を作る」からくりが分かってきます
なんとなく無自覚にコピーし続けている枠組みを変更することが「ゴール設定」の本質です。
枠組みが変更されれば、瞬間毎に再統合される情報状態(脳内宇宙)は根底から変わります。ゴール設定により宇宙は一変するのです。
どこまで大枠を変更できるが、視点の高さ・抽象度という論点となります。常に一つ上に視点を上げながら、枠組み自体を吟味し続けられるか否かが自由意志への分かれ道となります。


今回、「時間とは何か」に触れたのは、大部分の人が「古い時間概念」の枠組みを無自覚にコピーし続けているからです。
「古い時間概念」とは、脳内情報状態とは独立した外部世界が実在し、そこでは過去から未来に時間が流れるといった前提から、外部世界の時間的前後関係が因果関係であると帰結されるものです。過去の外部世界が原因であり、結果として現在と未来があるとする考え方です。


誰に頼まれた訳でもないのに、この枠組みを勝手にコピーし続けてしまっています。頼まれているのでなく、刷り込まれているからでしょう。積年の社会的洗脳の結果です。この枠組みを洗脳し続けることで、昨日の権力者は明日も安泰となります。
古い時間因果の枠組みに洗脳されたまま、ゴールだ、目的だ、糞だとやっても奴隷の処世術にしかなりません。それが隷従への道である偽コーチングの正体です。