“家”の意義 | SPIRIT HARMONY

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些細な日常から世の中に対しての叫びまで、思いのままに書き綴ります。共感してくれると嬉しいなぁ♪

さて、昨日の続きの勝手なつぶやき。

今日は子供にとっての“家”の位置付けについて。


行政的には、“外で頑張って家に戻ってガス抜き”みたいな捉え方らしい。
“家で指導”なんてものはない、とも言っていた。

自分は“家で基礎を培い社会で実践して発展させる”という考え方。
当然ながら色んな指導も発生する訳で…根本が真逆なんだよなぁ。

家では安心・安全を守る為の最低限のルールにするべきというのが行政のスタイルに対し、“ルールを守る”習慣付けを重んじる自分は“行動指針”的にルール付けをしたいと考える。
もっとも、ルールって言えば窮屈に聞こえるけど、『チャイムが鳴ったら席に着く』くらい普通のことを普通にやろうってだけなんだけどね。

大人だってダラけるんだから、子供が完璧に出来る訳はない。
ただね、“やろう”という姿勢が身に付くことが大切だと思う。

自分で暮らすようになった時、悪い言い方をすればやりたい放題やれるようになる。
その時に、当たり前のように自分を律することが出来るように育てること、それが自分の考える親の大きな役割かなぁ。

更に言えば、自分で考える際の引出しを増やしておいてあげたい思いもある。
だからアレコレと口が出る。

もっとも、大人が口を出し過ぎれば考えない人に育ってしまう可能性もあるからさじ加減が難しい。
自分は過保護な自覚あり、ここは日々反省なんだよなぁ。

とは言え、やっぱり家は基礎を培う場だと自分は考えたい。
行政の、いわゆる子育てのプロ的な人の考え方は、あくまで“心のゆとり”の追究に偏っているのは否めない。

もっとも、方法論なんかよりずっと大切なものがあるんだけどね。
自分より立派な大人になって自分以上に幸せになってほしいという、親が子供を育てるうえでの目的であり目標を、ブレずに持ち続けることが何よりも大切だと思う。

その為に自分なりに必死に悩み、考え、子供の成長に向き合っていきたい。
そんなことをじっくり考える機会を持てたこと、とても良かったように思う。