小学校4年生になったその日から彼女は走り始めた。


それまでの彼女は運動会でも持久走大会でもだいたいビリ、もしくはビリから2番目だった。


幼稚園の頃まではよく走る子で一緒に公園に行くと、鬼ごっこや駆けっこをして遊んだものだった。


走ることが苦手になるようなきっかけ(と思われる出来事)があるにはあった。


それは小学校1年生のときの運動会の徒競走。


トラックを半周走ってゴールするのだが、最後の直線で彼女は派手に転倒し、そのまま救護室に運ばれた。


膝や肘を擦りむいたのだが、何よりそれにも増して口の中が血だらけだった。


夜、お風呂に入ったときに、「パパとママにいいところを見せたくて頑張ったんだけど・・・」と、わんわん、おいおい、泣きじゃくった。


そして、彼女は小学校4年生になった日を境に「走るのが苦手な自分」と決別するために行動を起こした。


自宅周辺の道路で1周約200メートルのコースを、毎日7周走ることを自分に課した。


私も週末などは何度か一緒に走ったが、毎日ほぼ同じ時間になると、誰に何を云われなくても黙々と淡々と一人で走り続けた。


そして迎えた今日の運動会。


彼女は先頭走者としてテープを切った。


私はスマホで撮影をしながら涙を堪えることが出来なかった。


このことから云えることは、子供は可能性で満ち溢れているということだ。


いや、一言付け加えるならば、子供は「自分でダメだと思わない限り」可能性で満ち溢れていると云ったほうが、より正しいかもしれない。


しかし、果たしてそれは子供だけに限ったことだろうか?


私の心の奥で何かが疼いた。



たかのぶ




第一詩集『ワインの壜のバラード』