ありのままの私とは、何も介在させない私-当たり前を覗いてみる115-

 

 

人間は、冬になると厚着し、夏になると薄着になります。

これは体温調節をある範囲内でしか調整できないためです。

 

人間の身体は自然に対してはあまりにも不完全であり、生命を維持するには、あれこれと補完しなければなりません。

では、心についてはどうでしょうか。

 

 

私たちの思考はよく、「○○な私」と考えてしまいます。

出来ない私、出来る私、不完全な私、足りない私、輝いている私、、、。

 

〇〇に当てはまる言葉多くは現象です。

〇〇な私は、現象的な言葉を使って私自身を表現しようとしています。

実はこれが余計なことなんです。

 

 

一時的な自分を表すのなら問題はありません。

でも〇〇な私が、自分自身をどう思うのかを表している、私自身の心を表しているとなると、それは人生に大きな影響を与えてしまう問題になります。

 

 

〇〇な私が定着してしまうと、行動や選択、判断や表現をとどめてしまうブレーキになります。

心は物質ではありません。現象的な世界とは異質な世界の存在です。

そこにどんな心が在るのかは、心が決める事。

自分自身をどう思うのかは、自分自身が決めることです。

 

 

現象や他人の思惑を介在させて〇〇な私だと決定させることは、人生に余計なブレーキを増やすことになります。

私自身が何者なのかに余計なものを介在させてはいけません。

 

ありのままの私とは、何も介在させない私です。

 

 

 

最近、どんな〇〇な私を感じましたか?

 

 

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11月23日 NohJesuマスター1day