スッキリから世界を始める -当たり前を覗いてみる110-

 

 

夏から冬へ季節の変わり時の朝の空はとてもキレイです。

スッキリと澄み渡り、空気や彩、空の奥行や太陽の光さえもが、言葉で表現できない領域で調和しているように感じます。

それと比べたら、私たちの日常は様々なノイズや境界線に溢れた不協和な世界かもしれません。

 

 

どんな不協和の世界も、朝の空のような澄み渡った世界のごく一部なのだとしたらどうでしょうか。

何かが有る前提の世界の外には、必ずスッキリとした無い世界が広がっている。

 

 

不協和の世界は初めから有ったわけではありません。

ノイズや境界線も「無い」ところから「有る」ようになっています。

すべてはスッキリと澄み渡ったところから、有るようになっています。

それは心も同じ。

 

 

有ることが当たり前になってしまうと、その世界だけがすべてだと思い込んでしまいます。

しかし、すべては無いところから有るようになったもの。

完全調和だからこそ、揺らぎによる不協和と出会えるようになっています。

 

どんな出会いもスッキリと澄み渡った世界から始めること。

それが心そのもので生きるということです。

 

 

 

今見ている世界の外をイメージできますか?

 

 

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みんな違ってみんないい、その時代はもう古い!
疎通の課題を解決する時代を開く
 
 
「人間と人間の宇宙が実在しない」
「考えの主体が自分(人間)ではない」
この二つが事実だとしたら、どれだけショックなことでしょうか。