自分の認識に刺激を与える -当たり前を覗いてみる109-

 

 

私たちの脳は、当然だと思っていることに対して関心を示しません。

 

呼吸出来ていることが当たり前すぎると、呼吸の深さや長さを見ようとはしません。

歩いていることが当たり前すぎると、歩くペースや姿勢、歩きのメカニズムを知ろうとはしません。

特に「言語」については、もっとも影響を受けているにもかかわらずよく分からないことばかりです。

 

 

例えば、あなたにとって歩くとは何でしょうか。

 

一般的に言われていることや学術的な事柄ではなく、あなた自身にとって歩くとはいったい何なのか。

こんなこと考えたことも無かった、と思う人は要注意かもしれません。

なぜなら、歩くということが自分事としてつながっていない証だからです。

 

 

では、あなたにとって見るとは何でしょうか。

あなたの人生にどんな影響を与え、あなた自身とどれほどの深さでつながっているのでしょうか。

 

見るということに着目した時に、ただ見ることと心から見る事に違いがあることを発見できたりします。

これらは些細な発見ですが、積み重ねることで表現や考え方、意志決定や人間関係などに大きな影響をもたらすでしょう。

 

 

当たり前のように使っている言語に着目して、自分にとって〇〇とは何かと考えると、認識が刺激しされます。

それらの問いにはっきりと答えることが出来た時、自分の考えを走らせることが出来たと言えます。

 

認識に刺激を与える事は、生きることに豊かさをもたらしてくれます。

 

 

 

今一番問いたい〇〇とはなんですか?

 

 

 

 

 

 

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