出来ない私と分離する-当たり前を覗いてみる86-
習慣を変えていく中で、なかなか突破することが難しいのが「出来ない私」です。
いわゆる、「出来ない・足りない・分からない」と思うこと自体は、何の問題もありません。
しかし、「出来ない私・足りない私・分からない私」は、少々めんどうな課題です。
「出来ない私」から出発している事に本人は気付けません。
「出来ない私」から出発してしまうと、出来ないことはダメなことだと思い、不完全な私というレッテルが付きまとってしまいます。
これは自分と疎通が出来ていない状態です。
本当に「不完全な私」で在り続けていきたいのなら、そこに苦しみは生まれないはずです。
そこに苦しみが生まれるのは、心と思考が疎通していない証だと言えます。
自己を否定する思考に心が押しつぶされそうになっているんですね。
疎通の課題を解決するトレーニングの中では、まず、「出来ない私」と「私自身」を分離させる認識力を育てます。
出来ない私に”苦しんでいる”のなら、それは、「心から現そうとしている自分」ではないと言えます。
単なる習慣的に現われている自分の一部です。
その部分的な私をすべてだと思い込んでしまう、脳の認識のクセが起こす認識現象です。
「出来ない私」から出発している限り、出来ないことをダメだと決めつけ、不完全な私を上書きしてしまいます。
「出来ない部分的な私」がいることはしっかりと受け止め、でも、その私が私のすべてではないことを、はっきりと自分に決断しましょう。
何度も何度も繰り返す、「出来ない私」に対して、『それはちがうよね』とじっくりと言い聞かせましょう。
そして、私は出来ないという思い込みや勝手な決め付けに振り回されるのではなく、対話を始めます。
そもそも、まったく何も知らない世界には、出来るも出来ないも生まれません。
出来ないという認識が生まれているということは、”何か出来ていることがあるはずだ”ということになります。
自分は、『何が出来ていて、何が出来ていない』と思っているのかを整理することです。
その整理が出来たら、一言付け加えます。
「そう思っている私がいるんだな」
これが出来ない私と分離することになります。
この状態を前提に観察力や再解析力を身に付けていくことで、新たな自分の世界を構築できるようになります。
本来の私と分離させたい私はどんな私ですか?
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